吉祥寺の寸描
2019/08/07 グリーンパーク商店会
ここはもう吉祥寺村ではなく西窪村。五日市街道から旧中島飛行機株式会社武蔵野製作所の正門に至る道がグリーンパーク商店街(下の地図のオレンジ色の線)。グリーンパークとは、中島飛行機武蔵野製作所(東工場と西工場があった)の敷地に、西工場を中心にアメリカ軍が接収して造られた住宅地の名前で、アメリカンスクールなどの付帯設備も設けられていた。東工場の跡地には、武蔵野グリーンパーク野球場という1951年の1年間しか試合が行われなかった球場があったが、日本住宅公団に売却されて団地が造られ、現在は武蔵野緑町パークタウンとなっている。五日市街道からは、この道の東側にスーパーもあり団地の正面入り口へまっすぐ伸びる歩道付き二車線道路があり、ほとんどの人はそちらの道を通っている。
地理院地図サイトの1945~1950の間に撮影された空中写真を見ると、武蔵野に特徴的な街道からの短冊形地割りの中に、五日市街道から中島飛行機武蔵野製作所の正門の間には門前町のように家が並んでいるのがわかる。東側にトラックなどの通行を想定したであろう太い道が五日市街道から工場内にまで通じているが、それが現在のスーパーなどがある通りに相当する。
五日市街道に面した所にはビルが建って通りを塞いでしまっているが、一階を通り抜けられるようになっている。
この道は、夏は日陰になっている時間が長いのと、実質歩行者専用道路なので、安心してのんびりと歩ける。
通り抜けた先の向かい側は高齢者総合センター。振り返って見る。
高齢者総合センターのビルで遮られているが、実はその先(北側)にも短い商店街がある。
振り返って見る。
中島飛行機武蔵製作所跡地
武蔵野中央公園
2021/06 グリーンパーク遊歩道
下のグリーンパーク絡みの続き。旧国鉄の「武蔵野競技場線」(三鷹駅~武蔵野中央公園入り口付近)跡地を利用して作られた。グリーンパークという名称は、終戦直後より中島飛行機武蔵製作所跡地(現武蔵野中央公園一帯)を接収していたアメリカ軍が用いていた地名に由来する。
(https://musashino-kanko.com/area/mitaka_kitaguchi/greenpark_street/)
関前高射砲陣地跡
英文の説明を翻訳すると、「中島飛行機は、戦時中に活躍した航空機メーカーで、武蔵工場周辺には日本軍が防空用に設置した対空砲や自動小銃の陣地があり、工場を狙うアメリカの攻撃に備えていた。1944年4月12日、武蔵工場に投下された米軍の爆弾は、目標物だけでなく、関前の高射砲陣地や近隣の住宅地にまで及び、多くの軍人と住民を殺傷した。」と、上の日本語の説明との微妙な違いが気になったりする。
武蔵境浄水場への引き込み線
この頁上の「戦後の路線図(1951年頃)」に載っています。