Up
Down
Return

比良山古人霊託

慶政

底本:『宝物集 閑居友 比良山古人霊託 新日本古典文学体系40』岩波書店 1993年

【底本の注】
一 宮内庁書陵部蔵本を底本とし、校注者の見解により句点を施した。
二 虫損の場合は[]で示し、猪熊本により、またこれが欠損の場合は高山寺本と
  校合して字句を補った。
三 旧字体は通行のものに改めた。
  異体字は一部を除き、原則として通行のものに改めた。
四 仮名表記の部分は底本の形を残した。ただし、二行書の所は一行に改めた。
五 二行割書の注記の類は、〈〉を付して小字一行組とした。
六 底本に見える傍書は、()を付して本行中に組み入れた。
七 段落は底本の形を残した。また紙の継ぎ目は、字間に」を付して示した。

【入力者の注】
八 UTF-8のフォントが無いものは、代替字、またはカタカナとし{}を付した。



比良山古人霊託
(旧仮表紙)比良山古人霊託
(本文端裏書)比良山古人霊託 大織冠御親類

[比良]山古人霊託 鎌足御親類
延応元年五月十一日。御不例。同十九日。閣千日護摩参向
[矣]。自同廿[三]日参住。至于同廿八日。其問三ケ度霊託云〃。
已上九ケ日[参]住也。事外御減之間。此書輙不可令見人之由。
被仰。仍不可出窓外之由。令申了。〈一本書進入了。一本進将軍
家了〉。
比良山大天狗託於廿一歳女人云。〈刑部権大輔家盛之妻。伊与法眼泰
胤之女也〉我是聖徳太子御時之者。大織冠已前之仁。謂摂録臣先
祖也。此法性寺辺惣領主也。此地建立伽藍之由。承之間。為見廻
故郷向来也。而為執心深者。被書与一日[経]。我既為根本惣領主。
為我可被書写之由。以家盛令申之処。于今不承返事。若使者未申
達歟。又雖聞食無許容歟。[為]承真偽参向入道殿下」御許也。小
霊猶有怖畏。定参向大事出来歟。尓時為御使者帯一紙。而向法霊
所。令読聞御意趣了。是家盛懈怠也。更非御不許之処。努力〃〃
不可有参向。御病悩黒白旁驚思食者也。如此先被申案内。尤以本
意也。其功徳可随所望。可修何善根乎。若如所望被修而者。翻可
被成守護神也。
天狗答云。功徳ニハ無軽重。只以有誠為貴。若其心仮名者。其益
甚小。[以]慈悲アライトヲシヤ。苦患何二難堪覧ト。思テタニモ
修ニハタハウ。必可立要事也。何ル功徳人タニモ煩歎ツレハ興ノ
サムルナリ。
問云。既此辺惣領主也。造結壇崇之。贈一階被貴之事。如何。兼
又欲承往昔御位並御名。如何。
答云。所住無益。何所欲住可不被住哉。一階無詮。隔生之間。其
位忘却。只修功徳。可被廻向也。
問云。以無想大悲心。一日中。可令書写金泥」法花経並浄土三部
経。又択定其地。造立十三重之一丈六尺石塔。可被廻向也。石塔
是不朽之功徳。禽獣近其影。皆浄煩悩業垢者也。今被安莫太之功
徳。利益衆生。何物有過之乎。
答云。此等/\尤悦。此善之間。必〃不可令煩人給也。侍従宰相
(資季卿)奉テ被転読大般若経ナトハ不便事也。猶/\[可]被致誠也。
件経可被安置法勝寺也。時〃経廻彼寺故也。又御一帋可被入加彼
経箱中也。又被仰云。唐本一切経可蔵。可奉籠此大仏御身中也。
而先展供養之斎莚。可廻向申也。大小不審。皆可被示之。遥可被
成遠守護也。此病之本躰霊気。既以可捨離之由。被示了。而猶心
身不安堵。捨[離]一定歟。又猶有乎。
答。昨日初夜既以被捨離了。今所残両三人也。是ハ不可有別事也。
其中有悪性者立去之時。若如前キモヤツフサセ給ハンスラム。其
外者ハ大事[不]可有也。二人ハ与力之人也。一人ハ給仕ノ者也。
其悪性者ヲハスカサレ候ヘキナリ。
問云。本躰霊気天狗ノ崇徳院ニソ丶ノカサレテ。彼力ヲ」便ニテ。
悪ヲ結構之由。被示。実否如何。
答云。本躰人ノ成天狗トハ誰申ク。毒蛇ニコソ成タレ。天狗ニハ
不成也。崇徳院与力之条ハサモ有覧。共二[恨]ヲ含故。其形雖異
其意ハ同スル也。長厳ヤ十楽院(仁慶)ナントハ天狗ニテ有レトモ。
常二モ不随逐也。只此大原僧正(承円)コソ。其契深故。同心随逐
シタレ。桜井(法円)ハ強事ヨモアラシ。院タニモ捨離御ハ。無程
去スランソ。承円ハ性カ悪人ニテ。シハシハ有スラン。アタラ善
根ヲ。廻向ヲアシクシテ。悪知識二被引テ。後世ヲシソムシツル
也。承円眷属一両人有也。其力有程ハ御心地ハ猶亡惜スラン。女
人ノ一人生霊ニテ有ツルナ。泣申シツル。哀ニ候ツランナ。アハ
レ卿二品。若此道二有セハ。最[前]二指出ナマシ。其罪深クテ。
此道ニハ不来也。
問。本躰霊気捨離之刻。加持護身之時。黒鳥ノ翅長シテ如燕。自
西南角飛来。相当入道殿下御身之上右辺。不去而隠キ。此何物乎。
答云。其ハ入道殿御魂還来也。其ハ人ノエ不見事ニテ有物ヲ。怖
シク見給タリケル物カナ。唐本ノ一切経供養ノ廻向ヲタハンスル
事。余リニウレシケレハ。如仰遠守護神ト成テ。必可奉守護也。
設霊気等雖相共。時〃習気指事」ハ。廿日許ニハ可発也。守護セ
ント云シカトモ。如此病悩スルトハ不可思食。六月十月尤可有御
慎也。此月ニ無別事者。七十余マテハヲハシマサンスラン。准后
モサホトハ。ヲハシマサンスラン。
問云。何ニシテカ世ヲ久持テ。災難二不遇事[可]有乎。
答。心ウルハシクテ。僻事セテ勤メシテ。見物不好タニヲハシマ
サハ。非順災難ハ不可来也。白拍子ノ様ニ。我等力興スル事ハ無
也。サヤウノ処ニハ。引集スル天狗トモカ。非順ノ事ヲ引出也。
問云。入道殿随分発心ノ人ニテヲハシマス。而如此霊気。若来侵
者。第一ノ并障碍也。以何方便可対治乎。
答。実難治也。毎旦三時ニ被修不動供養法。其余時。令披見経論
御者。衆魔不可得便也。入道殿先世貴キ僧ニテヲハシマシキ。泰
胤法眼ハ御従者ニテ有也。御房ハ又従僧ニテ。入道殿ト不浅之知
音ニテヲハセシナリ。
問。内裏何事可有乎。答。不可有別御事。長政(イ知字)霊コソ
参ムトセシカ。其ハ悪性者也。
問。関東何事可有乎。
答。不可有別事。将軍無者ヨカリナント思タル」物ノ。一両人有
也。其ハ設雖有結構之事。不可有別事。
問。義時朝臣并二品。生何所乎。答。不知之。
問。後高倉院。後堀川院。北白川女院。生何所御乎。答。不知之。
問。月輪殿。普賢寺入道殿。生何所乎。
答。共入此道御也。月輪入道殿。人皆ヲチタリ。普賢寺入道殿ハ。
人モヲチス。サレトモ人ニアナツラル丶事モナシ。
問。後京極殿生何所乎。答。不知之。
問。吉水前大僧正御房。生何所乎。
答。入此道御也。威勢多人也。人皆ヲチアヘリ。此人/\皆住愛
太護山御也。
問。太政入道殿辺可有何事乎。答。不可有別事。今三年ト六年
トニ相当時ソ。驚事ヤ有ランスランヲホユル。若其過ナハ。八十
許マテハヲハセンスランソ。以外長命人也。
問。此法性寺伽藍可成乎。
答。必可成。必可守護也。設何ナル事出来。我等部類三千余人ハ。
随堪可加制止也。愛太護山衆ハ部類極多。非我進退也。然而」一
切経ノ御志殊以忝覚。仍試可加制止。又此辺西之地主等。執心相
残之輩。定常伺隙指出歟。其ハ此寺タニモ誠シクテ。僧侶常住シ
テ。致顕定勤者。エサシイツマシキ也。
問。此法性寺殿ニテ。如此病悩御。若此所ヲ立去テ可経御覧乎。
答。立去御ニハ不可由。此程草木ヲモ切捨ラレナン上ニハ。立去
御タリトテモ。本様ニナルマシケレハ。各〃ノ住所違乱ハ只同事
也。不可被立去。只白地御渡ハ其限ニアラス。
問。六月之内二。隠岐院霊祈請熊野権現。六月内乱入洛中。可被
奉悩諸宮諸院之由。或説示之。実否如何。
答。彼霊祈請熊野之事者。サモアルラン。諸宮諸院ヲハ悩トセラ
ルトモ。ヨモカナハシ物ヲ。只少〃コソ申ハアランスラン。
問。当時天下ノ政ハ好乎悪乎。答。天下ノ政トハ。摂政殿(岡
屋殿事歟)之政哉。其ハ好トモ不云也。サレハトテ。ロヲトヽノヘ
テソシラス。タ丶久世ヲ行ウマシキソ。罪積之事不可勝計也。此
摂政殿ハ短命ノ人也。」
問。左大将殿(円明寺殿事歟)可有摂録乎。答。其[ソ]ヨキ人ニテ
ヤ有ランスラントイヒアヒタル。短命ノ人ニテソヲハハスル。
問。以何方便可除其難乎。答。帰命三宝。信心有リテ勤ヲタニ
モシ御ハヽ。ヨモムケニ短キ事モアラシ。
問。猪熊大殿御不例如何。答。設今度雖無別事。不久必大事可
出来歟。惣ハ愚痴人也。善心微少。不便/\。
間。故摂政殿生何所御乎。答。不知也。罪アル人ニテヲハセシ
カハ。地獄ニヤヲハスラン。相構テ世中ヲ久ク行マシキ也。入道
殿モ此伽藍タニモ不造御者。イカニ罪多ヲハセマシ。依此伽藍。
本ノ罪ハ皆尽テ。此後ノ功徳ソ。御身ニハタマリ給ハンスル。
問。藻壁門女院生何所御乎。答。来此道御也。十楽院僧正ノ共
之也。常住蓮台野辺也。返/\不便ニコソ奉見。此等力[ナフ]リ
クサニテコソハアラムスラン。又尼ニテヲハスル也。
問。随分被修御仏事キ。不立御要歟。修何善根。可奉離彼難乎。
答。雖被修仏事。」皆以無真実心。只皆仮名也。ソヘニツヒノ遠
縁ナントニハ成スラン。真実功徳タニモ修レハ。アナイト惜ヤ。
今ハ此ヲ捨テント思心付也。取ツル者サ思ハヌ限リハ。雖経数千
年。不可捨離也。
問。何モ不怖トハ被仰トモ。有待ノ身ノ無怖畏之事ハ無也。只被
仰ヨ。サルニテモ何事カ候ラン。
答。実然リ。何/\ト云へトモ。五檀ノ法二過タルハ無也。浄行
ナル阿闍梨ノ番僧具シテ。誦加持タニタルハ。身毛立也。
問。五壇ノ中。何尤有怖畏乎。答。可依アサリニ也。法ハ無勝
劣也。同程ナルアサリニテ有ニハ。中壇コソ尤貴レ。
問。若生身不動尊ヤ拝給タル。答。不然。
問。不動呪ノ三有ル中二。何殊怖畏切乎。
答。慈救呪第一也。
問。絵像木像ハ有怖乎。答。吉像ハ怖也。
問。誠心ニテ読誦大乗タルト。実心ニテ戒ヲウケサセタルト。何
其益多乎。答。ケニ/\シキ[心]ニテ。{般}経ヲ誦之時ハ。我心
ノ妄念ノ皆トラクル也。又誦法花経之時ハ。我身ノ中ノス丶シキ
也。禁戒聞ク時ハ。心ノナヲル也。戒ハ第一益ニテ」有也。而悪
縁ニアウ時ハ。又如本乱也。
問。後白川院与崇徳院。其威勢多少如何。
答。後白川院威勢以外之事也。
問。御廟僧正(慈恵)第一威徳人歟。答。其ハ得脱シテヤラン。
不被見也。観音院僧正(余慶)コソ。当時第一ノ人ニテ被坐。
問。一乗寺(増誉)。御室戸(隆明)。威勢如何。答。御室戸僧正
得脱シテヤラン。不被見也。一乗寺僧正ハ。当時第一ノ威徳人也。
近ハ吉水前僧正コソ。威勢多人ニテ被坐。此人/\皆居住愛太護
山也。
問。天狗形{メウ}聖教不見。欲承之。如何。
答。細事軽不可露顕也。其長如十歳許人。〈今謂聖教ニ。鬼類多。
其長三尺。以今説実也。〉頭并身如人。其足似鳥。有翅。尾短。鵄
ハ我等乗物也。又只鵄許飛行ク力モアリ。人ナントノ子。干殺タ
レトモ別事モ無ハ是時也。我等乗タル時二打ナトシツルニハ。腹
力立テ加罰也。我等ハ弓箭ニテ射レトモ不被射也。又居木破ト人
ハ見トモ。心ニハ無危コト。只如居板敷上并大地也。雖不着衣服
無其愁」也。食ハ皆自力ニテ求也。熱時雨時ソワヒシキ。空時風
時ハ無大事也。
問。某甲僧正霊託之時。其手不浄物之香頻薫。若被用血肉不浄物
等乎。
答。用之也。〈今謂唐土人師尺天狗二字ニハ。飛行スルコト如天狗。ゝゝ
又所食似狗。故云狗云〃。今説実哉。〉大躰皆食之也。我ハ少縁ニテ
ハ不用之也。求食而不得シテ累日之時コソ用。
問。有妻子乎。答。皆持也。我相共之者ナトハ。既及四百余歳。
嵯峨野二〈比良山北之野也。〉人二被棄レテ迷タル様ナリシヲ。取置
タリシ也。形ヨキ人ヲ取ナト云ハ是也。又生替/\スル時ハ。其
形皆アヤシケナレトモ。昔タニヨカリシカハ。イツモ吉キ思ヲナ
シテ有也。其ノ夫婦ハ可然事ニテ。同生シ同死シテ。必成夫婦也。
如此多生隔ハコソ。昔事ナントハワスレ候へ。如此又天狗ノ子ニ
ナリ/\スル也。子モヲサナキ程ソイトヲシキ。長等ク成ヌレハ。
トリアヒ。ツカヒ[ア]ヒ。犯アヒスル也。子ノヲサナ[キ]ホトハ。
食物エヲハ。母力求テ与也。婦天狗ハ人ナトニハ不付也。留守二
常ニハ有也。
問。鉄丸ヲ日二三ケ度食之由。申伝。実否如何。
答。非丸也。鉄ノ三角ナルカ。自然二天然ノ」理ニテロニ被食也。
其カ徹骨髄無述也。毎日ニハ不被食也。若僻事ヲシツル時被食也。
サレハ構テ僻事ヲハセシトスル也。
問。聖徳太子御時之人ト被仰之間。無何貴覚セ給也。太子ノ仏法
興隆シ御シハ御覧セシカ。又太子御旧跡ヲ随分二奉修補人ハ。何
様被申乎。答。太子仏法弘給シハ見之。尓時ハ我ハ未修行也。
修行仏法之人ハ。来世ヲモ遥見也。我ハ不修行故。不能見也。又
旧跡修補之条。其ヲ不讃之人。誰可有乎。
問。何意人来天狗道乎。又天狗通唐土乎。
答。僑慢心。執着心深者。来此道也。又不能往唐土也。
問。明恵房ハ何所二生御候哉。答。明恵房高弁。上生都率内院
御。努力/\不審ニハ不可思也。近来真実出離得脱御人。此外ニ
ハ無也。
問。解脱房何所二生御候哉。答。解脱房トハ誰人乎。申云。
小納言已講貞慶ト申シ丶法相宗碩徳是也。答。惣不知之。」凡
ハ後来ナレトモ更解力アル輩ハ。如然事分明弁之。我ハ学文ニ疎
ナリシ故。不知之事多也。聖徳太子之守屋大臣ヲ責サセ給ヒシ事
躰ノ世俗事ハ。不忘也云〃。
問。近来念仏者。其数尤多。皆出離得脱乎否。答。誹謗正法者。
争可出離乎。皆堕悪道也。惣無厭離穢土之心。何往生仏国土乎。
問。法然房ハ生何所乎。答。堕無間地獄リ。
問。善念房ハ可生何所乎。答。同可堕無間地獄也。
問。性信房可生何所乎。答。畜生道二不堕スハ。魔道ニヤ堕ス
ラン。
問。善念房与性信房者。大旨同見ナルニ。何不生一処乎。答。
二見雖同。於性信房者。信其言者少。故徒衆不多。至善念房。人
皆信之。徒衆極多。謗法罪重。故堕アヒ獄也。
問。仏法之中。何行真実出離之要乎。又自他利益尤多乎。答。
真言ノ行二過タルハ無也。昔大師達モ皆此ヲコソ行御シカ。
問。慶政所住山寺。可有魔難乎。答。当時ハ勤ヲ能クスル時ニ。
魔モ不行臨也。此定ニ」勤メ行ハ丶。将来モ其難不可有也。
問。如此罷入見参。宿世因縁不浅故歟。相構今度為初。出離ノ道
可被挿御意也。魔界ノ心ニモ皆有仏性。常恒シテ無変易。故天台
大師ハ。魔界ノ如。仏界如。一如ニシテ二如無シ。トコソ説御タ
レ。仏法ハ極テ名字ヲ聞事ノ難有候也。此程マテモスヘノ世ニハ。
又難聞ヲハシマサムスラン。相構/\テ。ヨロッヲ思忍テ。ヤハ
ラカニヲハシマセ。人ヲナ悩給ソ。如此打解物語セサセ給。シカ
ルヘキ事ニテコソ候ラメト。哀覚候也。
答。ケニ/\。サルヘシ/\。相構可忍諸事也。又人ヲ悩サント
思候ハン心性ノ事。構テワスレ候ハシ。カヤウニ打クトキテ。被
仰之人アラハ。経ヲヨマストモ。呪ヲヨマストモ。サリヌヘク覚
候也。サテモ御経袋ノ中ノ物共。申出テ拝候。又弘法大師ノ御筆
ノ障子。両界殊二貴シ。イカテカナ香様物。可拝候乎。同法花曼
荼羅并御経等。皆貴シ。ウレシク候/\。宿世因縁コソハ候ケメ
ナ。哀候物哉。再会難期。ナコリ殊二多シ。争又ハナ。明日ハ後
夜ニハ」罷帰ナンス。入道殿ニハ。此御使御テ候。返/\悦候ト。
能/\申サセ給へ。此御返事ノ端書二。ヤカテカクカ丶セ給へ。
ア丶サラハトク返リ参セ給ヘトテ。長クイフ事無クナリヌ。

延応元年五月廿三日。参住法性寺殿。至同廿八日。其間三ケ
度罷向此霊託所。或時ハ子丑時。或時ハ寅時マテ問答ス。其
間人/\心操。当来果報等略之了。
                    沙門慶政記
比良山古人霊告草案也