Up
Down
Return

都祁水分神社つげみくまりじんじゃ

都祁水分神社は、行政上は奈良県奈良市都祁友田町182と奈良市だが、天理市石上神社のほぼ真東に位置する。大和国水分四社(都祁・宇陀・吉野・葛城)の一つで、祭神は速秋津彦神ハヤアキツヒコ(古事記の表記)、天水分神、国水分神。天水分神と国水分神は速秋津彦神の子で各々雨水と川の水を分ける神。ここは木津川水系と大和川水系の分水界にあたる。当初は3km南の奈良市都祁小山戸町にある都祁山口神社の地にあった。平安時代中期、ここに興福寺喜多院の荘園が成立し、その鎮守として天禄二年(971年)に荘園の中心となる友田に遷座した。


田圃の向こうの土手の先は並松池という溜池。
大和高原の平均標高は470mだそうで、こういう高地で水田稲作が行なわれている事自体が珍しい。


 

堀越頓宮跡の碑





手前は神楽殿?、奥は拝殿。

狛犬は鎌倉時代のもの。左の吽形の狛犬は妙に愛らしい。




 

一間社春日造桧皮葺の本殿は国の重文




 

白龍大神



山邊の御井


和銅五年壬子夏四月,遣長田王于伊勢齋宮時,山邊御井作歌
山邊乃 御井乎見我弖利 神風乃 伊勢處女等 相見鶴鴨 (万葉集 巻1-81)
山辺の 御井(みゐ)を見がてり 神風(かむかぜ)の 伊勢娘子(いせをとめども) 相見つるかも
山の辺の御井を見に来た時に、伊勢の娘達にも出逢うことができた。(「神風」は「伊勢」の枕詞)


上記の万葉集歌の場所とされる「山邊の御井」とする場所は何ヶ所かある。
長田王が和銅五年(712年)4月に伊勢斎宮へ行く途中、「伊勢處女等」を大和高原のここで見るのはちょっと考えにくいが…