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霊山正法寺

 

ここでは霊鷲山正法寺となっている。



ただひたすらまっすぐ上がる。




上の写真の説明のように最澄が延暦年間に開創したのかは定かではないが、平安時代に天台宗の釈迦如来を祀る霊山寺があったが衰退した。法然が元久年間に念仏道場にした?後、時宗の国阿が永和二年(1376年)?に正法寺として再興した。



現在の本堂


鏡水


国阿上人板碑
製作時期ははっきりしないようだが中世のもの。


伊勢神宮内宮の風日祈宮(かざひのみのみや)か、外宮の風宮を勧請したらしい。手前右の常夜燈からは他の神を祀ってあった事も想像されるが…


書院の縁側は西に沈む夕陽を見て極楽浄土を想う日想観に打って付けの場所。
実際、そういう催しがある。


柏のお札
国阿は伊勢信仰が篤く何度も参拝したという。そこで、伊勢や熊野に参拝に行く人の旅の無事を願って、柏の葉に「伊勢熊野参詣輩」「許永代汚穢」と書いて授けたのが始まりとか。最初は本当に柏の葉に書いていたのかもしれないが、版木が作られて左のような紙のお札になった。現在もお寺で入手可能。


能の『田村』の前場で、ワキの東国から来た僧が「また北に当つて入相の聞え候ふはいかなる御寺にて候ふぞ」と尋ねると前シテの花守の童子が「あれは上見ぬ鷲の尾の寺」と答えるが、その「鷲の尾の寺」が、この正法寺。鷲尾は現在も町名になっていて、その範囲からかつての正法寺の四至の広さがうかがえる。