長楽寺
時宗は、教科書には鎌倉新仏教の一つとして一応は載っているはずだが、なんとなく一般には馴染みが薄い。しかし、鎌倉~室町時代には、民衆に最も近い宗派だったと考えて良いだろう。浄土教の各宗派の開祖・宗祖は何れも教団としての組織化に熱心だったとは言えず、二世・二祖以降が教団としての組織化に取り組む事になった。その中で時宗は遊行上人二世の他阿以降も、各地を遊行し賦算する形態は、参加し従うのも/離脱するのも比較的自由で拘束力が弱く、戦乱の中で団結力が必要となった戦国時代以降、時衆と言われる信者は、同じ浄土教の宗派だが組織化に優れた真宗や、一部は浄土宗に組み込まれていったと思われる。
明治四十一年(1908年)に七条道場金光寺が長楽寺に統合された。その結果、重要文化財の時宗祖師像七躯や多くの文書が七条道場から移された。
本堂
鐘楼
竹本綱太夫の墓(何代目?)
頼山陽の墓
平安の滝
上の説明板にもあるように、岩組に石仏が組み込まれている。
じっくり眺めて楽しめる。
建礼門院の御髪塔と言われる十一重石塔
相阿弥作の庭園。相阿弥( 大永五年(1525年)没)は時衆の同朋衆に属していたとみられる絵師、作庭家。足利将軍家に仕えた。