阿弥陀池
『日本書紀 巻第十九』に、欽明天皇十三年十月に百済の聖明王から釈迦金銅像などがもたらされ、蘇我稲目に礼拝させたが、疫病が流行ったため、物部尾輿、中臣鎌子が天皇に廃仏を進言し「難波の堀江」に流し棄てたとある。また、巻第廿には、敏達天皇十四年二月に蘇我馬子が病気になり、占わせると「父の神」=仏を祀れというお告げだった。そこで百済から来た弥勒の石像に延命を祈願した。そうすると疫病が流行ったので、三月に物部守屋と中臣勝海が天皇に廃仏を進言し、物部守屋が「難波の堀江」に仏像を棄てた。
和光寺の本尊は、善光寺式一光三尊形式の阿弥陀三尊像。「難波の堀江」に沈められた仏像を、推古天皇の時に信濃の人本田善光が拾い上げ、善光寺の本尊となったという。元禄十一(1698)年、阿弥陀池に和光寺が建立され、本尊はこの時に信濃善光寺から迎えられたという。
堀江廓は近世~近代の遊郭。大正期に演舞場が建設された。
なんば
「日立ITソリューション」がどこかミスマッチ
通天閣の展望台から下を見ると道が放射状に
やはりづぼらやのふぐがないと
展望台のビリケンさんへ
ビリケン(Billiken)さん
台座の意味は?
…という由緒だそうです
エレベータの天井にもビリケンさん