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乙訓

京都府と大阪府の境のあたり。水無瀬から向日市あたりまで

乙訓寺(長岡京市)

表門

太子堂(本堂)



毘沙門堂

鐘楼




地蔵堂



八幡社

裏門



飛鳥時代頃創建のこの乙訓(向日市、長岡京市、大山崎町)あたりでは最古の寺。
784年の平城京から長岡京への遷都の翌年、長岡京建設責任者の造長岡宮使藤原種継暗殺事件に関与したとして桓武天皇の弟にあたる早良親王が幽閉された。
その後、空海や最澄が訪れたなど有力な寺院であったことがうかがわれる。
鎌倉か室町時代から禅寺となったが戦火で荒廃し、江戸時代に京都の八百屋の娘とかいう説もある徳川綱吉の母、桂昌院の援助で真言宗の寺として再興された。

走田神社(長岡京市)

旧奥海印寺村と旧長法寺村の産土神(村社)






正面の里山が走田神社。その手前に寂照院がある。
位置関係からもこれらの寺社はかつては何等かのつながりがあったのではと想像させるが、走田神社は海印寺の鎮守としての妙見社でもあった。
妙見菩薩は中国の北辰の天帝や神道の天之御中主神と混ざって訳のわからない存在。

寂照院(長岡京市)

下海印寺や奥海印寺という地名を見てどんなお寺かと思っていたが、戦国時代の戦乱で荒廃し廃寺になり、子院の寂照院だけが残っている。
寂照院の建物は阪神淡路大震災の被災などで近年立て直されたものばかりで古刹という雰囲気はないが、鎌倉時代の仏像などを有している。
また、道元が中国より孟宗(もうそう)竹を持ち帰り最初に植えたところだそう。
乙訓は筍の産地だが、その竹は孟宗竹。筍を食べたがった病気の母のために雪の中から筍を掘り出した孟宗という人の伝説が語源という。