竹生島
島の南にある波止場に船は着き、下船して土産物屋を抜け入島料を払って石段を上がる。
この順路は都久夫須麻神社へのルートだけを示しており、これに従って進むと宝厳寺が抜けてしまうので、最初はまっすぐ宝厳寺の弁才天堂へ向かう。
江戸時代まではごく自然に全体が宝厳寺だったが、神仏分離令で宝厳寺と都久夫須麻神社に分けざるを得なくなってしまい、その不自然な状態が未だに続いている。
この分離が如何に強引で苦悩の決断だったかは「滋賀県の歴史」に生々しく記されている。
ずいしょうすい。「御本尊弁才天様の御託宣により平成14年11月に掘られた霊泉であります。」
平成の霊験といったところか。深さ230メートル、湖底下深さ約130メートルの井戸。当然真水が出る。
弁才天堂(本堂)
だるま型の弁才天にお願いを書いた紙を底から詰めて納める。それがずらっと並んでいるのは壮観。
即宝堂。神仏習合の微妙な表現。
宝物殿脇からの琵琶湖の眺め。宝物殿は一見の価値あり。
もちの木。
本堂から石段を上がった三重塔や宝物殿がある平地にある。
唐門。豊国廟の正門に使用されていた極楽門が移築されたもの
。彫刻の美しさはさすが。
舟廊下。観音堂と都久夫須麻神社をつなぐ渡り廊下。
豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に使った日本丸の船櫓(ふなやぐら)を利用したもの。
舟廊下を渡り観音堂から都久夫須麻神社本殿へ。
都久夫須麻神社。
現在は正式には竹生島神社なのかもしれない。
本殿は豊臣秀頼が豊国廟(伏見城?)の日暮御殿を移築したもの。
龍神拝所。かわらけ投げができて、鳥居をくぐれば願い事が成就するそうです。
能の竹生島。竹生島へ渡るある臣下一行を乗せる釣舟の翁と若い女性。月下の琵琶湖に漕ぎだして島に到着する。女人禁制を訝かる臣下に答え、女が神殿に入り弁才天となって現れ舞を舞い、龍神も宝物を捧げ、湖水を翻して去って行く。
能楽協会の曲目データベースより(http://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/program/detail/168/42//)
つまり龍神は湖にいるので、湖に向かって参拝する。
狛蛇?
空海が唐から戻ったのち、ここに庵を結んだ?
舟廊下と正面は観音堂。
観音堂を見上げる。
正面から見た唐門。
下から覗いた唐門。
護摩堂。
実際に歩き回れるのは島の南側のごく一部だけ。
サギのコロニーを保護する一方、カワウが増えて問題になっている。