白鬚神社
なんといっても、この景色がなければ始まらない。
湖上から見ると、
『滋賀県の歴史』(山川出版社)によると、1662年5月1日の地震でもともと陸地にあったものがこの地震で湖中に陥没したと伝えている(『近江興地志略』)。
水運の安全祈願のために湖上から拝めるように敢えて水中に建てたわけではなさそうだ。
左の石碑に書いてある様に「水鳥居」は昭和55年~56年に沖へ15メートル移設された。
本殿の背後、若宮社の脇の石段を上がると三社、内宮、外宮と並んでいる。
更にその後ろには天満宮、稲荷社、寿老人・弁財天と並んでいる。
その後ろは少し離れて右上に岩戸社がある。岩戸社の左右には白い布が下がったロープが鹿除けとして張ってある。
実際、上がってゆくと、その足音に驚いて左手の木立の中から鹿が2~3匹斜面を駆け登っていった。
境内の一番奥にある岩戸社。
この神社で一番面白いところ。
横穴古墳を天の岩戸に見立てたもの。
社の中には斜面を掘る形の横穴がある。
社の右の岩。
滋賀県教育委員会の「文化財を大切に保有しましょう」の石柱。これ自体がもはや文化財。
時の帝が霊夢を得たため、勅使が白鬚明神へ参詣する。一行は老漁夫に出会い、仏法結界の地として釈尊がこの地を求めたという縁起を聞く。老人は白鬚明神の仮の姿であった。深夜、勅使らの前に白鬚明神が本来の姿で現れて舞楽を奏する。そこへ天女と竜神も加わり、灯明を供えて舞を舞うのだった
(公益社団法人能楽協会トップ > 能楽事典 > 曲目データベース > 白鬚(しらひげ)より引用)
芭蕉の句碑
でも、この「四方より花吹入れて鳰の波」は、膳所の医師で門人の浜田珍夕の「洒楽堂」で詠んだとされている。
余分な話
「ひげ」の漢字の話(高島市観光ボランティアの方からうかがった話に尾ひれを付けて)
髭 | 口ひげ | ||
鬚 | あごひげ | ← 白鬚神社の「鬚」 | |
髯 | ほおひげ | ||
髟の下に胡 | ひげだらけでもじゃもじゃ? | ||
須 | あごひげの意味があるらしい | ||
(参考)髟の下に? | 髪の毛。?はハツと読む。 |