因幡堂平等寺
因幡堂には、かつて寺の前の通りを東に入ったところにあった薬師湯や、門前にある「綴(つづり)」、門前西側に動かない屋台風のラーメン屋など、色々お楽しみがあって何度も前を通ったし、お参りしたこともあったが、2010年7月の金剛定期能で狂言「鬼瓦」を見てその鬼瓦を見ようと改めて出かけた。
右上は松原通からの眺め。この通りは不明門(あけず)通と言って、昔は松原通のこの辺りに開かずの門があったらしい。
寺の縁起などは京都市の辻札のとおり。橘行平が因幡国から後を追って飛んできた薬師如来像を祀ったというが、この橘行平という人物は因幡で強い勢力を持っていた因幡国造氏の因幡千里を殺害したらしいなど、因幡では悪い国司だったらしい。
因幡堂は革堂や六角堂と並んで「町堂」(まちどう)として町衆の集会所としての機能を果たしていた。比叡山の僧兵とか外部からの侵入があったときは、ここの鐘を鳴らして緊急の事態を告げたという。
「幡」の字つながりで岩清水八幡宮と交流があるそうだ。
本堂内左のこの像は橘行平?
本堂の右側には不動明王。
吹流しのように下がっているのは地蔵盆の飾り。
本堂の彫り物。
本堂右にはお地蔵さんと、
そして空海像。
本堂左には大黒天。
鬼瓦はこういう風に売っているが…
破風の上の鬼瓦?見当たらない。
狂言の鬼瓦:裁判のため、長期に渡り京都に単身赴任の遠国の大名が、訴訟に勝ち、そのお礼お別れのため、五条の因幡堂のお薬師如来に太郎冠者を連れ立って参詣します。今回の勝訴も、このお薬師如来のお蔭と感謝し、国許へ帰ってこの御堂を移し安置することにしました。二人は、姿の良い御堂の隅々を見てまわります。ふと、大屋根を見ると厳めしい鬼瓦が、目にとまりました。ところが、どうも大名には国許に残した女房の面にソックリに見えるのでした。鬼瓦が妻とそっくりだと言いつつも、妻を思い出し早く会いたいと、大泣きをする大名が、なんとも狂言的で、小品ながら演者にとっては、無類の難曲とされています。
(茂山千五郎お豆腐狂言-http://www.soja.gr.jp/guide/#guide000725)
(シテ)最前からあの鬼瓦が、誰やらに
(太郎冠者)誠に、仰せらるればどこやら似まして御ざる。
(シテ)あの目のくる/\とした所、また鼻のいかつた所などは其まゝでは無いか。
(太郎冠者)いか様、能う似まして御ざる。
(シテ)
(大蔵虎寛本『能狂言』(上)岩波文庫)
でも、「妻とそっくり」の鬼瓦は見当たらない。
結局、答えはこの説明のように因幡堂の瓦に本当に鬼を表したものはなかったようだ。
節分 星祭の北斗護摩
ろうそくは300本あるという。護摩は本堂に向かって左にある観音堂で行われる。北斗は北斗七星で、いわゆる妙見さん。
仏教の妙見菩薩は中国の道教の影響で入ってきたらしい。真言密教の雰囲気ムンムンという感じがするこの星祭が本尊の薬師如来を安置する本堂ではなくて、観音堂で行われるというのは、単に護摩の道具立てが観音堂にあるからというだけなのだろうか?
しかし、護摩木をくべると炎が上がる護摩は狭いお堂では火事が心配になる。
般若心経が聴けます。
但唱作の石仏
本堂の西側奥にある二体の石造仏
向かって左側は金剛夜叉明王
作但称?
右側は毘沙門天
樋口平太夫 作但称