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湖北の仏

医王寺、赤後寺、安念寺、観音寺、正妙寺、西野薬師堂

これらの仏像はちゃんとしたお寺のお堂に安置されていることは稀で、地元の方々が当番制で拝観の受付、説明をするなどのご苦労の上に維持されています。信仰の対象である仏像は撮影禁止ですし、立派な建物があるわけでもないので、正直なところ写真の記録ではそこの印象を残せないと思っています。

医王寺

医王寺

医王寺


明治時代に住職が長浜の骨董屋で買ってきたという十一面観音は廃仏毀釈の嵐の中で、どこかの寺から持ち出されたものだろうとのこと。そういう来歴は戦火から仏像を守ってきた他所の歴史とは随分違うが、でも共通の信仰の土台があることも感じさせる。
仏像は現代的なスリムな体型で直立しており、衣の襞が美しい。

唐喜山赤後寺(からきさん・しゃくごじ)

赤後寺

赤後寺


赤後寺

割りに本格的なお堂だが、それが転利(コロリ)観音への帰依というのは悲しい現実。"天寿を全うして"コロリと死ぬのは確かに理想的な死に方ではある。
聖観音と千手観音の立像が並ぶ。
向かって右側に日吉神社、左に八幡様と神仏習合の地。


天王山安念寺

左に仏堂、右は牛頭天王社という神仏習合の場。

安念寺

安念寺


安念寺

安念寺


安念寺

安念寺


 

牛頭天王社。


安念寺

湖安念寺


ここの仏像は、いただいたパンフレットによると元亀元年(1571年)織田信長の比叡山焼き討ちの際、この寺も天台宗の寺として焼かれた時に村人が仏像を田圃の中に埋めて護ったという。文政年間(1818~1830)に掘り出され仮堂を建てて安置した。17体あったものが、平成12~15年(2000年~2003年)に状態の良い手ごろな大きさのものだけ7体が盗まれて現在は10体となっている。 田圃の中の湿った状態で長らく埋まっていて、その後も子供が川遊びの時に浮き輪代わりに使っていたとかで、大まかな輪郭は残っているが極めて無残な状態になってしまっている。この状態でもそのままで祀っておこうというのは正しい選択だろう。

霊応山(黒田)観音寺

(黒田)観音寺

(黒田)観音寺


説明板に書いてあるように准胝観音(じゅんていかんのん)像。千手観音は一般的に合掌している二本の手のほかに左右に各々20本の手を持っている。そのため一本一本の手は細い棒のようになってしまっているが、准胝観音の手は18本で、各々がふくよかでいかにも仏母という感じだ。但し、その顔は口髭が鮮明で男性的。
塔身部分が抜けて背が低くなってしまっている宝篋印塔は黒田家のものと言われている。笠の隅飾りが飾り気なく垂直に立っているので鎌倉時代のものだろうか。

湖東山正妙寺

立派な神社の斜め上にある小さなお堂に安置されている十一面千手千足観音菩薩像は一般的な観音様とは全く異なった姿をしている。ヒンズー教的と言うか、眷族神と言うのか、いただいた説明書にも本像のような形相の像は他に全く例を見ず、いかなる儀軌・根拠を反映しているのか詳らかではない。と書いてある。高さ42.1cmと小振りで状態は塗り直したのだろうが極めてよい。

正妙寺

正妙寺


正妙寺

正妙寺


日枝神社本殿の左上のお堂に祀られていたが、2017年1月から西野薬師堂にあったお堂に祀られている。

正妙寺

正妙寺


西野薬師堂

西野薬師堂

西野薬師堂


西野薬師堂

西野薬師堂


 

ここに十一面千手千足観音菩薩像が安置されるようになった。


西野薬師堂

西野薬師堂


西野薬師堂

十一面観音と薬師如来が並んで祀られているが、美術的には肉感的な十一面観音立像の方が上だろうか。薬師如来像は、いただいたパンフレットには10世紀中頃から11世紀初めの制作だとする。明らかに両手は後補で、この地域に真宗が拡がった後に右手を施無畏印せむいいん、左手を与願印よがんいんに改めたという説が有力だという世話役の方の説明が妥当な感じがした。
他に十二神将像が二体あるが、後年塗り替えられてどぎつい感じ。