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常照皇寺

常照皇寺への道端で見かけたモーター?

桂川を渡る。



無住寺ではないと思うけど、山門を入ってから出るまで全く人に会わなかった。
観光客がわざわざ来る季節ではないが、前夜の雪の後の景色も素晴らしい。
左の説明では「北朝初代光厳上皇」などと、南朝正統論に沿った書き方になっているが、光厳上皇は後醍醐天皇が建武新政で復帰するまでのれっきとした天皇。後醍醐天皇が鎌倉幕府の意思で即位した光厳天皇を認めずその間も自分が天皇だったとして光厳天皇を上皇にしてしまった。明治時代に南朝が正統とされて、実際は九十七代天皇だが北朝初代とされ、現在もそのままとなっている。


山門から勅額門へ。


凍った碧澤池。


奥に一枝に一重と八重が咲くという車返しの桜を見る。

九重桜と左近の桜の方向を見る。
なんせ、この状態ではどれがどれやらよくわからない。



方丈。雪景色の中で開け放たれた室内は寒いが静溢な空気に充ちている。


方丈の杉戸絵?(少なくとも襖絵ではない。)この寺の中でこれらの絵だけが力強い動きを感じさせる。


方丈の裏の庭園。廊下の向こうは怡雲庵。

方丈の東側。



怡雲庵(いうんあん)
中央は釈迦三尊像。獅子に乗っている脇侍が文殊菩薩、像に乗った脇侍が普賢菩薩。更にその外側に地蔵菩薩。両側には十六羅漢。


阿弥陀三尊来迎像。
両脇侍のお迎えに来ましたという鎌倉時代風の姿勢に注目。

光厳法皇の坐像。



光厳法皇の山国陵。


光厳法皇の波乱万丈の生涯

一般的には南北朝時代は建武の中興のあとに始まる感じだが-
鎌倉幕府倒幕計画が失敗した元徳三年(1331)の元弘の乱で後醍醐天皇が京都を脱出した後、光厳天皇が即位している。後醍醐天皇は退位したつもりはないので、この時点で天皇が二人いたことになり、光厳天皇は北朝一代目の天皇と言われる。
鎌倉幕府滅亡の後、南朝元弘三年(1333)後醍醐天皇の建武の新政が始まり光厳天皇は退位させられたが一応上皇となった。建武三年(1336)新政崩壊後、光厳天皇の弟が北朝二代目光明天皇となった。ここからが普通考える南北朝。足利尊氏が幕府を開いた後、弟の足利直義(あしかがただよし)高師直(こうのもろなお)の対立から北朝観応元年(1350)観応の擾乱(かんのうのじょうらん)が起こり、直義は南朝側に降参し南朝が勢いを取り戻す。観応二年(1351)に正平一統が成立し一時南朝側は京都へ復帰したが、観応三年(1352)足利尊氏の嫡男で後に二代将軍になる足利義詮(あしかがよしあきら)が近江で態勢を立て直し、京都を奪還する。この時、撤退する南朝は光厳・光明、崇光上皇と直仁親王を奈良県五條市の賀名生(あのう)へ連れ去った。5年間軟禁されている間に出家し、晩年はこの常照皇寺へ入り北朝貞治三年(1364)ここで崩御。


裏から九重桜と左近の桜の幹を見る。

書院から方丈。



古民家風の生活道具各種

柱時計。

庫裏に色々展示。



庫裏の表には消防ポンプ。

方丈の廊下の上には駕籠。