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乙訓のあたり

小倉神社(大山崎町)

養老二年(718)に創建されたという。
平安遷都(794)のとき御所の鬼門除け(南西の裏鬼門)として祈願され、延喜式では式内名神大社に入っている。
延喜式とは平安時代の律令制の下で定められた格式(きゃくしき)の一つで、醍醐天皇が藤原時平らに編纂させた。
その中に神名帳があり記載された神社を式内社と言い官幣社として扱われる。官幣社は朝廷の神祇官より奉幣(奉納)を受ける神社。名神とは霊験が著しいとされる神様のこと。
羽柴秀吉は山崎の合戦の前に戦勝を祈願させたので戦勝後そのお礼に、更に徳川氏からも寄進があり豊かな神社だったようだ。
祭神は春日神の四柱の神。つまり春日神社系ということになる。


保育園と小学校にはさまれた参道。

気持ちのよい参道が続く。







この暗さが怪しくも神々し雰囲気を醸し出している。


 

拝殿の左の橋を渡ると天王山と柳谷への分岐点への登山道がある。



十二支の像は近年のもの。



夜明け前