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乙訓のあたり

寶城庵

ただのお寺という感じで古い建物があるわけでもなさそうで特に古刹といった風情もないが、本尊の薬師如来は淀川に沈んでいた山崎橋の柱で作られたものという話が面白い。枚方大橋よりも淀川上流には右岸と左岸をつなぐ橋はないので、大山崎にあったという山崎橋は今もあっておかしくないと思う。






待宵小侍従の墓と顕彰碑




平家物語に出てくるこの逸話はむしろ源氏物語的に思えるが、いかにも平安時代を感じさせる。墓は大正時代ごろまでは五輪の塔があったそうだが、今はいかにも近年のものという感じのもので本当にこの下に眠っているの?と思う。顕彰碑は徳川幕府から摂津高槻藩主に任じられた永井直清が建てたものだが、これすら歴史遺産になってしまう年代もの。
この前には御所が池があり、あたり一帯は桜井御所跡ではないかという話だが、池自体はしっかりと護岸工事されて人工の溜め池にしか見えない。