高円寺
中央線の三寺のうち、
- 国分寺は武蔵国分寺址で武蔵国分寺公園になっている。
- 吉祥寺は、明暦三(1657)年に起きた明暦の大火(振袖火事)のあとに、水道橋の都立工芸高校付近にあった吉祥寺近隣の住人が移転したところ。(寺は文京区本駒込三丁目に移転)
ということで、本当に駅名のお寺があるのは高円寺だけ。
宿鳳山高円寺は曹洞宗の寺。本尊は観音菩薩。
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戦前までは大きな家は門の横に交番を作って寄付し警備してもらったというので、この交番もお寺の寄付で出来たのかもしれない。
天保五(1834)年に発行された『江戸名所図会』に、高円寺は「桃園観音堂」として記載されている。(国会図書館デジタルコレクション)のコマ番号「27」)土人(地元の人)は桃堂と称せり。同所高圓寺村の高圓寺といへる禅林に安置す。本尊は聖観音にして恵心僧都の彫像なりといへり。(割書)当寺ハ中野の成願寺に属す、弘治年間(1555年~1558年)の草創なり。開山を建室和尚と号く。むかしは 大将軍家度々當寺へ立寄らせたまひ假の御殿ありしかは當寺の山号を御殿山ともとなへ侍るとなり。又當寺境内その頃は桃樹多かりしによりて、桃園と称すへき旨 台命あり。その後享保に至り新たに中野の地に桃園をうつしたまひ田圃の間々に桃樹を多く栽しめ桃園と命せられたりとなり。故に土人は當寺をさして桃園の旧地なりといへり。
商店会命名の通り名だろうが、南中央通りから参道がある。
一つ北側の道に面して山門がある。
両側に住宅が迫っているが落ち着いた雰囲気のお寺だ。
本堂は昭和28年(1953)の再建ということだが、鬼瓦や千鳥破風と唐破風を組み合わせた正面の飾りは禅宗寺院には派手すぎるくらい立派だ。
龍が巻きついたお稲荷さんの鳥居。この東京三鳥居の一つの「双龍鳥居」が、この寺の一番の見ものかもしれない。田中という石工の作。
子育地蔵堂
近世は、桃園子育地蔵が知られていたようだ。