太神山不動寺
「アルプス登山口」というバス停から出発。
太神山は山としては「たなかみやま」と読む。
一帯は三上・田上・信楽県立自然公園の田上山地地区となる。
滋賀県のサイト(http://www.pref.shiga.jp/d/shizenkankyo/furusato/park/mikami.html)によると、田上地域が荒れた露岩地帯であった頃は、トパーズなどのペグマタイト鉱物の産地として世界的に有名でした。現在は、治山・治水の結果植生が回復して鉱物採取は容易ではありません。
だそうで、琵琶湖博物館のサイトにある滋賀県博物館協議会(http://www.lbm.go.jp/kenhaku/start.html)に紹介されている湖南地域の田上鉱物博物館の紹介ページによると田上山は明治期から花崗岩鉱物の山地として、日本で岐阜県恵那地方、福島県石川地方とともに三大産地の一つに数えられた。もともと水晶は飾り玉にするなどして産物となっていたが、トパーズは加工には向かないために放置されている状態だったという。これに目をつけたのは来日した外国人宝石商だ。地元の人々を雇って拾わせ、海外に持ち出されたトパーズは明治間に700kgに及んだ。
とのこと。
迎不動。ここの前から天神川を渡る堂山方面への道が分かれるが、見た目にも遠慮したい道だった。
不動明王の右には智証大師円珍の石像。円珍は延暦寺第5代の座主(868年)。滋賀県には円珍を開祖とする寺や、関係したと言われる神社が多数あり、良弁開基といわれる寺よりも多いのではないだろうか?
実はここまでは車では来れる。駐車場もあるが、反則だと思うけど。
「不動橋」という橋。ここから不動寺への本格的な山道に入る。
ここらは松茸山。
金勝と同様に花崗岩の岩が目立つ。
中不動というのか?中の像を覗くことはできなかった。
巨石信仰、磐座(いわくら)と言われれば"ごもっとも"と納得させられるオーラを感じさせる岩々。
泣不動。
制多迦童子(せいたかどうじ)らしい。
矜羯羅童子(こんがらどうじ)らしい。
矜羯羅童子は不動明王の従者である八大童子の7番目、制多迦童子は8番目。
制多迦童子は「肉身が紅蓮華(ぐれんげ)のような赤色で、頭髪を五つに束ねる五髻(けい)とし、左手に縛日羅(ばざら)(金剛杵)を、右手に金剛棒を持つ」
矜羯羅童子は「15歳の童子(どうじ)のようであり、頭には蓮華の冠を戴き、体は白く合掌した手には独鈷杵を持ち、天衣と袈裟で厳飾する」というのが「聖無動尊一字出生八大童子秘要法品」に書いてあるそうだが、(高野山霊宝館:http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/myo/hachi.html)、ここの二尊は, そう言われればそんな感じだが、かなりユニークな像だ。
二尊像を過ぎたらすぐに境内かと思ったら、その先が意外と長い。
南の信楽側からはこのすぐ下まで車で登れる。そうでもなければ、こんなところに一般向けの墓地は作れない。
左に下れば駐車場。
ようやく到着。
不動寺は園城寺(三井寺)が総本山の天台寺門宗(じもんしゅう)の開祖である円珍(814-891)が創建したといわれるお寺。
本尊は円珍作という不動明王。三井寺の教学は、特に顕教・密教・修験の三道融会ということを重視します。 修行法もこれら三道にそってそれぞれの行法があり、なかでも代表的なものは、 智証大師流の密教を体得する四度加行と大峯山系を抖そうする奥駈修行が挙げられます。四度加行は、不動明王を本尊とする密教の行法で、十八道、護摩、胎蔵界、金剛界の四つをいい、 これによって僧としての基礎が確立されます。
という事で、ここも天台修験の場だ。
(三井寺のWebサイト:http://www.shiga-miidera.or.jp/doctrine/eb/syugyo.htm)
庫裏の先には倶利伽羅龍王のお堂がある。倶利伽羅龍王は八大龍王の一つで不動明王の化身らしい。
初不動、節分会、大護摩供などは、この本堂下の広場のようなところで行われるようだ。
円珍作という本尊の不動明王像は岩を削った(掘った?)ところに置かれた厨子に安置され、その前にこの本堂が寄りかかるように建っているという感じらしい。
本堂の横の石段を上がったところの巨岩。
山頂への途中にあるお堂。神変大菩薩(役小角)を祀っているので建立したのは修験道者だろう。
太神山の山頂。
奥の院。
岩から木が生えているように見える。
実際、岩の裂け目から伸びている。生物の力強さ!
鐘楼の鐘。
つまり、不言実行で良い行いをしなさい。
古の日本の趣を守っているという風情の庫裏。