甲賀・油日
福生山櫟野寺
2011年10月、2019年10月
福生山自性院櫟野寺は、滋賀県東南部、甲賀市甲賀町
山寺というほど山の中ではないけれど、草津線の駅からはけっこう遠いという行きにくい場所にある。
本尊は高さ3.12mのぽっちゃり体型の十一面観音像。最澄が一刀三礼で彫ったと伝わる。甲賀郡はまず奈良仏教の影響を強く受けたが、後には天台の教線が各時代において力を発揮したと考えられている。一帯では近世以降「甲賀六大寺」という表現が現れるが、「六大寺」はいずれも天台宗に属する矢川寺、河合寺、新宮寺、油日寺、千光寺、櫟野寺の各寺で(千光寺・櫟野寺を除き廃寺)、その大半が谷筋の核となる神社の神宮寺であり、千光寺を除く全てが
(近江観音の道:サンライズ出版)
仁王門と言うのか山門と言うのかわからないが、この金剛力士像は抑制された姿勢での筋肉の緊張がよく表現されていて美しい。
昭和四十三年(1968年)に本堂を焼失し、その後建てられた本堂。
写真でみる旧本堂は二層で鯱が付いた豪壮な建物だった。本尊などは昭和40年に建てられた収蔵庫に収められていて無事だった。
現在はこの正面から見える木造の本堂にお前立ちがあり、その背後に接したコンクリート造りの建物に本尊や流麗な聖観音立像、ずんぐりした田村毘沙門天などが安置されている。
本堂の前に鎮護社とは前に出すぎている感じがする。祭神は書かれていない。
本堂の裏に改修された収蔵庫がある。
甲賀には10世紀の木造の仏像が多数残されている。木造十一面観音坐像をはじめとして頬がぽっちゃりとした四角い顔の仏像が並ぶ。一方、12世紀の仏像は顔がやや面長になってくる。
「我が国最大を誇る坐仏の十一面観音さま」を拝観させていただくには、こちらを参照。
今は切り株だけになってしまったイチイの木。
後ろの二本は二代目として植えられたものか?
イチイの木とはイチイガシを言っているようだ。
単にイチイと言うと色々な木があって訳がわからない。
お寺で相撲奉納というのは確かに珍しい。
境内を向いている方がかつての東門の正面。
光明山阿弥陀寺
油日神社
境内社及祖霊殿と岳、白鬚両両摂社
明治四十四年村民敬神の赤誠はこって一となり、村内各字の村社三社、無格社七社を本社に合祀合霊して一村一社の美を成し、八幡常松二神社にその祭祀を厳修している。今本社の氏子は甲賀町内九地区凡そ一千戸、その氏子の祖先の霊は奥深い境内の祖霊殿に鎮ります。
白鬚神社は本社の西方矛杉高き丘陵に鎮座、その本殿は明応を下る十数年後永正七年(一一五一〇)再興の棟札を存し、古書、又本社と同時代の創立と伝えている。祭神猿田田彦命は本社にも配祀されているが、油日大神の天降り鎮座ましし折のサキダチ彦で、授福方除敷地祓いの神として賽者の数も多い。
岳神社は柚の水源油日岳頂上に鎮座 油日大神の神体山として荒御魂をまつり、水神罔象女命を配祀、社殿は四十年目毎に式年の造営が行われる。このお山は海抜六九〇余米、頂上に聳える老桧巨杉も鉄道沿線から肉眼で見える位の手近な山で、一日のハイキングコースとしても恰好なところと喜ばれ、頂上からは甲賀、伊賀の山野が一望の中に在り、近江富士も可愛いゝ饅頭のように見え、晴天のときは琵琶湖の一線が青く浮き出される。
「油日神社由緒」より
櫟野寺はソフトバンクの携帯電話がつながりにくくタクシーを呼ぶのに手間取り、一時間に一本しか来ない電車を(2011年)。待ち時間に駅の南側の古い町並みを散策。
さすがは甲賀の飛び出し坊や。忍者姿はともかく、赤、黄、緑と信号の三色とも揃っているのが凝っている。
なんといってもビックリなのはJA甲賀の入口のこの掲示。
そりゃ、お断りでしょうけども、率直すぎるよね~。
甲賀駅にはあちこちに「トリックアート」が描かれていて、長い待ち時間のお慰めになっている?