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知恵光院

知恵光院地蔵堂の前にある変な石。「金ぎょく龍王神」という立て札が立っている。


櫟谷(いちいだに)七野神社

賀茂社に奉仕する斎内親王が身を清めて住んでいた御所があった場所とのこと。
文徳天皇の女御藤原明子(あきらけいこ)奈良の春日神社に懐胎を祈願して後の清和天皇が生まれたので、同帝の勅願で春日神社を勧請したのが始まりだそう。


 

春日神社なので鹿。



神様は敷地の奥いっぱいに押し込められている感じ。この神社は白砂を積むと浮気封じのご利益があるという話もあるようだが、紫野斎院として清潔感を出した方がよいだろう。

末社のお稲荷さんの方が立派に見えてしまう。



水火(すいか)天満宮

枝垂桜の名所
水火天満宮

夜は雰囲気が変わる
水火天満宮


登天石。「天満宮御臨降」ということで、『元亨釈書』の「釋尊意」の項によると、怨霊となった菅原道真が鴨川?を氾濫させたが師の尊意僧正が祈祷すると洪水が収まり水の中からこの石が現れここから雲の上に昇ったとか。

 
水火天満宮

 
水火天満宮


『元亨釈書』の「釋尊意」抜粋 (禅文化研究所の「黒豆データベース」のファイルに依る。)

釋尊意、姓丹生氏、平安城人、其先應神天皇之胤也。甫六七歳好讀書。不嘗肉葷、不害羽鮮。隣僧思其梵種、授大悲神呪。意能持誦。城之北山有度賀尾寺。意於彼道場、日夜誦呪。不歸家者三年。
 元慶三年上台山。習學有聲。十七落髮。二十一、禮座主圓珍受戒。一紀之間究台教。又稟兩部密法于増全、蘇悉地于玄昭。凡三部諸尊祕軌、各各密語、無多少皆誦一萬反。以故皆能通習。亦爲成就先行、修法各一千座。如是修練屡得奇夢。觀音文殊金剛薩埵不動明王、各加慰誘。
 延長三年夏旱。宣於延暦寺修祈雨法。意率六僧、修佛頂尊勝法。四日雨降。擧朝嘉歎。尊勝祕法嚮於朝自意始。
 四年五月、皇后産難。敕修不動法。天使藤元方宣曰、若母子難全、獨救護后。意奏曰、能生所生皆悉安穩。明王本誓何疑乎。明旦皇子平誕。
 七年春三月、京畿多疫。詔曰、傳聞密教中有除疫法。早勤修供、速攘災癘。意伴三十沙門、於豐樂院七日修不動法。時菑消熄。敕賜度者三十人。
 八年六月、戸部尚書藤清貫、尚書右中丞平希世二人、於清涼殿逢雷震死。皇帝惶怖玉體不豫。乃移常寧殿、召意宿禁中持念。初意在叡山、一日、菅丞相化來語曰、我已得梵釋許與、欲償夙懟。願師道力勿拒我也。意曰、然。然率土者皆王民也。我若承皇詔、何所辟乎。菅作色。適薦柘榴。菅吐哺而起。化作焔坊戸煙騰。意結瀉水印擬之。其火即滅。燒痕尚在焉。已而雷雨浹旬。鴨河大漲人馬不通。於是乎詔意赴宮。意車到河濱。激浪止流、水不濕輪。意入宮持誦。帝夢、不動明王炎焔熾然。厲聲誦呪、加持聖躬。夢覺餘音在耳。即意之誦聲也。帝謂左右曰、意者聖者也。
 承平四年春、弘徽殿庭柿樹、烏成巣。詔意持念。烏日日移巣。七日盡去。天慶二年夏旱。七月、於延命院敕修尊勝法。雨澤沛然。賜度者二十二人。
 初延長四年五月、任延暦寺座主。天慶三年二月二十三日、
沐浴淨髮、語弟子恆昭曰、我日者欲生極樂。今改昇兜率。闍毘之後、不可厚葬。只於墳所造一石柱爲標。令來見者結覩史之因。又我弟子七七之忌不得追修。各於自房益勤修學。若有思我、砥勵所業。是報恩也。二十四日、無疾而逝。年七十五。瞑目之後、烏百餘集房悲鳴。見人不避。移時飛去。蓋生平分食施烏。以木叩板、群烏飛來。及此感慕如是。
 贊曰。世之學佛者、以忌薦託諸子。其尤者纔粘痾茵、課持誦乞延命。豈塵表之擧止邪。意公以追薦、換勤業而爲囑。昔漢文避祝、千歳絶續。今見於意。何其達哉。

『元亨釈書』では「鴨河大漲人馬不通。」となっているが、ここらまで洪水になるのは今思い浮かべる今出川通の賀茂大橋以南の鴨川ではなく、上賀茂神社あたりから出雲路橋あたりの賀茂川から溢れた水が南に押し寄せてきたのかもしれない。

 
水火天満宮

 
水火天満宮


この天満宮は水難火難除けの神様という事で、菅原道真の怨霊が色々天変地異を起こしたことに発している。学問の神様として祀るよりも、この方が昔ながらの祀り方と言えそうだ。

安産祈願の玉子神石
水火天満宮

福壽大明神、玉姫弁財天、金玉龍王
水火天満宮


菅原道真に従って太宰府へ下った渡会春彦
水火天満宮

火防の秋葉社
水火天満宮


六玉稲荷(六玉稲荷、玉光稲荷、生島稲荷)
水火天満宮

出世石
水火天満宮


水火天満宮


龍王之池
龍王とは金玉龍王だそう。


百々橋の礎石

かつて上賀茂神社の少し下流から分岐して南に流れる「ふたまた川(二股川)」があった。小川通りの「小川」に相当するようで、この百々橋もその川に架かっていた。川は一条あたりで堀川に合流していたという。


妙顕寺




三菩薩堂
日蓮、日朗、日像を祀る。

尊神堂
鬼子母神を祀る。



御真骨堂
日蓮、日朗、日像の舎利を納める。



壽福院塔
前田利家の室、壽福院日栄の十一層の寿塔
具足山妙顕寺は日像が後醍醐天皇の勅許を得て創建した日蓮宗の寺院。上の妙覚寺、立本寺と並ぶ京都三具足山の一つ。
国の重要文化財になっている『妙顕寺文書』という日像書状や後醍醐天皇綸旨などが含まれる1656通の文書がある。



善行院

妙顕寺の塔頭の一つ。

妙見宮。日蓮は護法・守護神として妙見信仰を重視していたらしい。能勢の妙見山も日蓮宗になっている。



妙覚寺の枝垂桜。
具足山妙覚寺は日蓮宗の寺院で、妙顕寺・立本寺(りゅうほんじ)と共に京都の三具足山の一つ。本能寺の変の時には信長の嫡男の織田信忠が泊まっていた。
この大門は聚楽第の裏門を移設したものという。



興善院旧跡