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当道座職屋敷跡

右下の説明板はよく読み取れなくなってしまっている。『平家物語』をみずからの道(当道)であるとした琵琶法師による組織が、のちに「当道座」と呼ばれた集団である。(村上紀夫『まちかどの芸能史』解放出版社 2013年)近世に幕府の保護を受けた当道座は諸国の盲人を監督するための役所、職屋敷をこの仏光寺東洞院に設置していた。京都の職屋敷では惣検校を中心とした十老と呼ばれる要職が合議制で各種の問題に対応していた明治四年の盲官廃止令でこの組織は解体してしまった。現在は京都當道会という一般社団法人が職屋敷の所蔵品の(幾ばくか?)を保存している。


豊園水

以下は京都新聞ふるさと昔語り(217)からの抜粋。豊臣秀吉が茶の湯に愛用したと伝わる「豊園水」。この水がわき出す井戸はもともと、秀吉の別邸・龍臥城の敷地内にあった。町衆が明治初期に建てた旧豊園小の敷地内で地域によって守られてきたが、約四十年前に地下工事の影響などで枯れ、二年前に跡地にある洛央小が復元した。地下三十メートルから太陽光発電のポンプで水がくみ上げられ、小川のように流れている。


神明神社


平家物語に源頼政の鵺退治の話が出てくるが、鵺に射った矢のやじりがここにある。
下京区綾小路通高倉西入ル神明町


命婦稲荷社と鉄輪井




命婦稲荷社はこの鍛冶屋町あたりの氏神さま。その右側に鉄輪井(かなわのい)がある。井戸に「鍛冶屋町敬神会」が作成された無料パンフレットが入った缶があるので、そこから一枚いただいた。
もう鉄輪といっても何の事かわからなくなってしまっているが、火鉢の真ん中においてお湯をわかすやかんを乗せる鉄製の台で、五徳のこと。
能の鉄輪のストーリーは省略として、丑の刻詣りに鉄輪の足を上にして頭に載せるというのは、牛の形を真似ているのだろうか?
しかし、堺町通り松原下ルのここから貴船神社まではえらく遠い。





夕顔町


仏光寺

真宗佛光寺派の本山。真宗寺院の常として、境内は小ざっぱりしていてそっけなく、建物の大きさが目立つ。
境内に、D&DEPARTMENT KYOTO by 京都造形芸術大学もある。

仏光寺

仏光寺


市比賣神社


祭神がすべて女神なので女人守護、また平安京東西市場の守護神として左大臣藤原冬嗣により七条堀川に創建されたので市場の守護社とされている。
祭神は、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、市杵島比賣命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比賣命(たぎりひめのみこと)、神大市比賣命(かみおおいちひめのみこと)、下照比賣命(したてるひめのみこと)。
この内、多紀理比賣命、市杵島比賣命、多岐都比賣命は宗像三女神で、福岡県宗像市の宗像大社に祀られている海の安全を守る神様。アマテラスとスサノオの天安河原での「誓約」において、アマテラスがスサノオの十拳剣を譲り受けて生んだとされている。
神大市比売はスサノオの二番目の妻(一番目はクシナダヒメ)となった神で、宇迦之御魂神(伏見稲荷大社の主祭神)と大年神を産んだ。この神の「市」の字の連想から市比賣神社が市場守護社たる由縁となったのだろう。
七条堀川の市場は東市で七条通、堀川通、正面通、大宮通で囲んだあたりなので現在の(西)本願寺の南半分から七条あたりとなる。豊臣秀吉の京都都市改造で現在地に移転させられた。


入口がマンションになっているからといって、本殿がマンションの中にあるわけではありません。


お守りは河原町通りの角で売っている。
これも苦肉の策というところ。


(西)本願寺の唐門


国宝の唐門。
改修が終わったところなので特に見栄えが良いのかもしれないが、これ程のものを拝観料も取らずに見せてしまう本願寺の度量の大きさも大したもの。
伏見城から移築されたものとか。
境内東南にある飛雲閣は聚楽第からの移築というし、徳川幕府が豊臣家の遺産を使って浄土真宗を手懐けようとした一石二鳥の感じが濃厚。


東本願寺の菊の門

明治末に造られた四脚門。登録有形文化財(建造物)。




 

烏丸通より。外から見ると「菊の門」である事が理解できる。



御影堂