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大吉寺と天吉寺山

2012年10月

野瀬

上草野小学校を過ぎて野瀬に入ったところに立っている。
徒歩や車なら、この交差点を右に行く。
バスはもう少し先の「野瀬北」で降りたほうが近い。


天吉寺山

下之森神社
野瀬の集落から大吉寺への道の入口にあたる場所にある。
この角には、登山口とか、大吉寺参道といった標識はないので、ほんとうにこの道で良いのか迷う。


安養山光福寺
大吉寺への道を挟んで下之森神社と隣あっている浄土真宗仏光寺派の寺。

天吉寺山

天吉寺山


天吉寺山


天吉寺山

しばらく行ったところにあるこの道標で、この道で大吉寺へ行けることを確認。


天吉寺山

天吉寺山


 

野瀬簡易林道竣工記念碑。
大吉寺と上之森神社の間の道は事業区域に入るためか塞がれていたが、立岩、平岩、釋神の瀧と見どころは多そうだ。


天吉寺山

天吉寺山


天吉寺山

左右に石灯籠が並んだ参道は比較的最近造られたようだ。


天吉寺山

天吉寺山


天吉寺山

天吉寺山


天吉寺山

下の上之森神社といい、俳句好きの方々が多いようだ。


天吉寺山

天吉寺山


上之森神社

天吉寺山

天吉寺山


天吉寺山

天吉寺山


天吉寺山

天吉寺山


大吉寺

天吉寺山

天吉寺山


本堂
敬老の日に源頼朝の許しで始まったという虫供養放生会が行われる。

天吉寺山

天吉寺山


天吉寺山

天吉寺山


天吉寺山

大吉寺は、かつてはこれから登る山中にあったが、1572年(元亀3年)7月織田信長の軍勢に焼討ちされた。
1570年、志賀の陣で信長陣営は浅井・朝倉、延暦寺と戦い、年末に比叡山に籠った浅井・朝倉勢と一旦講和、翌年1571年(元亀2年)に比叡山を焼討ちし、そして1572年に浅井氏を攻める。ただ、この年は浅井・朝倉と共に反信長連合に加わっていた武田信玄が三河、美濃へ進出しようとしており、信長軍は浅井氏をそれ以上攻められなかった。信玄の死後、1573年(天正元年)に再度、信長は浅井氏を攻め、滅ぼす。
天台宗の寺で浅井氏の小谷城のすぐ東にあるだから、格好の標的だろう。
現在の寺はその子坊の一つだった場所に建っているようだ。
信長公記巻五{元亀三年}
七月廿四日、草野の谷、是れ又、放火侯。□に、大吉寺と申して、高山能き構へ、五十坊の所に侯。近里近郷の百姓など当山へ取り上り候。前は嶮難のぼり難きに依つて、麓を襲はせ、夜中より、木下藤吉郎・丹羽五郎左衛門、うしろ山続きに攻め上げ、一揆僧俗数多切り捨てられ、


天吉寺山

ここから登山道。しばらくは沢に沿って登るが、沢から離れる場所がわかりにくい。
急斜面をよじ登って上の道に出るという感じだった。


 

寺院関係と思われる遺構の石垣。


天吉寺山

天吉寺山


天吉寺山

仁王門跡。
平地の幅から考えると、それほど大きなものだったとは思えない。


この案内板の手前を右に行ってはいけない。
木の左を上に上がる。

手洗鉢。


天吉寺山

天吉寺山


大吉寺跡の平地。『近江湖北の山岳信仰』によると、天智天皇の時代に愛知川上流に聖観音に似た浮木があり、桓武天皇の時代に現大津市の粟津に天吉寺を建立し安置した。それが807年(大同2年)夏の洪水で流され、本尊は高島郡に流れ着いた。安圓という僧(上の安然上人堂の安然と同じ僧)が、旦那の浅井治家と共に取り上げ、草野の天吉寺山に祀った。
愛知川から琵琶湖をぐるっと時計回りに来た本尊らしい。
その時流された寺号額の「天」の「一」の字がとれて、現在の大吉寺という寺号になったという話も伝わる。


塔跡。

鐘楼跡。


天吉寺山

天吉寺山


本堂跡。

経堂跡。


天吉寺山

天吉寺山


『吾妻鏡』の1187年(文治3年)2月九日9日の部分に、「九日辛巳 有大夫属定康關東之功士也彼近江國領所、平家在世之時者、稱源家方人、被収公滅亡、今又守護定綱爲兵粮米、點定之依之、企參上募申有勞之間、停止旁狼籍、如元可領掌之趣 今日被仰下〈云云〉去平治元年十二月、合戰敗北之後、左典厩令赴東國美濃國給于時寒嵐破膚、白雪埋路、不進退行歩、而此定康、忽然而令參向其所之間、爲遁平氏之追捕、先奉隠于氏寺〈號大吉堂〉天井之内、以院主阿願房以下住僧等警固之後、請申私宅、至于翌年春、竭忠節〈云云〉」という記述がある。左典厩は源義朝のこと。ただ、頼朝だったとか、両方とか、色々な話がある。
なお、上の文の内容は、近江の守護(佐々木)定綱が草野庄司定康の所領を減らすといって鎌倉幕府に訴えた話。


頼朝供養塔。

天吉寺山

天吉寺山


供養塔右側の石仏など。

閼伽池跡。


天吉寺山

天吉寺山


覚道上人入定窟。上の「大吉寺跡」の説明板に覚道の事が書いてある。

天吉寺山

天吉寺山


天吉寺山

天吉寺山山頂。
寺跡から少し上り、尾根をかなり歩いてしばらく登ると山頂。
従って、寺跡からはかなり離れていて、別の山という感じ。