飛鳥
高松塚古墳
超有名な古墳だが、整備されすぎてしまっていて、なんか雰囲気がでない。
ここを有名にした壁画の服装から、キトラ古墳と同じく7世紀末から8世紀初めに築造された終末期の古墳と断定できる。
被葬者は天武天皇の皇子ではないかとか色々ある。
岩屋山古墳
近鉄吉野線飛鳥駅のすぐ北にある。
古墳時代の終末期、7世紀前半から中頃の築造と思われる古墳。
この時期の古墳は横穴式の石室になっている。
岩組が実に緻密で美しい。技術の高さがうかがわれる。
方墳だが、上段は八角墳ではないかという説もある。
被葬者は天智天皇、天武天皇の母の斉明天皇(皇極天皇が重祚)ではないかという説があるが、不明。
酒船石遺跡 亀形、小判形石造物
背後の山に斉明天皇が造営した
下の写真の施設は、両槻宮へ行く前に禊ぎする場ではなかったかという(説がある)。
酒船石石垣
酒船石遺跡がある山(丘?)はこのような石垣で囲われていたらしい。
それも天理の石上から切りだされた砂岩という事で、日本書紀の記述や、「
『斉明天皇二年(656年)於田身嶺冠以周垣。〈田身。山名。此云太務。〉復於嶺上両槻樹辺起観。号為両槻宮。亦曰天宮。』時好興事。廼使水工穿渠。自香山西至石上山。以舟二百隻載石上山石。順流控引於宮東山。累石為垣。時人謗曰。狂心渠。損費、功夫三万余矣。費損造垣功夫七万余矣。宮材爛矣。山椒埋矣。又謗曰。作石山丘、随作自破。〈若拠未成之時、作此謗乎。〉』
酒船石遺跡
用途不明の酒船石。
石舞台古墳
整備されすぎじゃないの?って言いたくなるが、なんせ観光名所。
ここの石は、多武峰へ行く県道155号沿いにある細川から運ばれたものという。
被葬者は日本書紀の記述から625年に亡くなった蘇我馬子?!という説がある。(有力?)
飛鳥寺
蘇我入鹿首塚
かつては中金堂の本尊だった、この金銅仏の飛鳥大仏(大仏と言うほど大きくはないが)は、渡来系の
建立時の飛鳥寺は一塔三金堂という、塔の東西北に金堂があり、
これらを回廊で囲むという伽藍配置だった。