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葛木坐火雷神社(かつらきいますほのいかづちじんじゃ)の周辺

葛木坐火雷神社(笛吹神社)

葛木坐火雷神社

葛木坐火雷神社


日露戦争で捕獲されたロシア製大砲
こうした戦利品は日本各地の神社などに展示されていたらしく、伊勢神宮にも"一九一四年版の英語ガイドブックには、旅順で捕獲されたクルップ社の大砲やその他の「支那人と露西亜人との巨大な戦いが偲ばれる恐ろしい遺品」を内宮の入口で見ることができる、という記述がある(Terry's Guide to the Japanese Empire, NY., 1914)"と、このようなものが置かれていた。

多様な末社。
梅室神社、空室神社とか、聞いたことがない神様。


葛木坐火雷神社

葛木坐火雷神社


葛木坐火雷神社は右下の説明にも書いてあるように、明治七年(1874年)に笛吹神社に火雷社を合祀して現在の形となっている。笛吹神社は天香山命を祭神とし笛吹連ふえふきのむらじという朝廷で笛吹きを務めた一族の氏神だったようだ。しかし、延喜式神名帳の忍海郡に書かれている「葛木坐火雷神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗」は火雷社の方で、後に笛吹神社が優勢となり、火雷社はその末社となってしまったらしい。

葛木坐火雷神社

葛木坐火雷神社


本殿の左背後には横穴式の古墳がある。笛吹古墳群は葛城の群集墓の一つ。

葛木坐火雷神社

葛木坐火雷神社


イチイガシの説明は右下にあるが。「極相」というのは植物群落が遷移によってしだいに変化し、その地域の環境条件に合った長期間安定な状態が続くこと。(広辞苑より)

葛木坐火雷神社

葛木坐火雷神社


 

地光寺旧跡(西遺跡)
この辺りに古代寺院は多くないが、岡寺式の瓦が出土した地光寺は8世紀前半には創建されていたらしい。


葛木坐火雷神社

葛木坐火雷神社


忍海の水利

葛城

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葛城

葛城


葛城

葛城


葛城

葛城山東側山麓のこの地域は扇状地で水の浸透性が高いので灌漑用の溜池が多く作られた。
兄川の水は扇状地の要にあたる山口で南北に分けられ、笛吹、平岡、林堂、南花内、馬場、西辻、脇田、梅室、小林などの集落が灌漑用水として利用していた。


葛城

葛城


葛城

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分水石
番水制のための仕掛け

この山間を川が流れてきて灌漑などに利用されている。


葛城

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