日間賀島
北西端の八幡神社
7月に行われる龍宮まつり(ぎおんまつり)は、ここの摂社の海神社の祭りだろう。
対岸のチッタ・ナポリとか、こうした産業遺産は80年代バブル時代の名残りだろうか。
昭和55年保育社発行の『カラーブックス517 名古屋歴史散歩―名古屋とその周辺―』では、南隣の篠島の方がカラー写真付き3ページで、日間賀島はモノクロ写真のみの1ページという扱いになっている。その記述によると、日間賀島は「尾張藩高級藩士の流人の島」で、「不義をはたらいた女性専用の『お姫屋敷跡』があり、怪奇な伝承がある」という。「篠島に比べると観光化されず素朴」だというのだから、35年間に随分変わってしまったものだ。
日間賀島資料館
灯台風の民俗資料館。サメ漁や、もちろんタコ漁も。
タコ漁は、かつては意外にも一本釣りが主流だったという。
蛸祭の説明
島の北側はフェリー発着所の他は、ほとんど漁港になっている。
地元の方のお話として、「日間賀島」は、かつては「
佐久島を望む。
下の安楽寺の章魚阿弥陀如来像由来にある、佐久島との間にあった島が陥没し、そこにあった筑前寺という寺の仏像の胎内仏が漁師の網にかかって引き上げられ、この寺に安置されたという話は興味深い。もっとも安楽寺の阿弥陀堂で見ることのできるのは金色に輝く立派な仏像で、とても胎内仏とは思えない。筑前から関東に向かっていた別山月伝という僧が安楽寺を開いたというのと、沈んだ島の寺が筑前寺というのが、微妙な一致をみせる。しかし、地震で?陥没した島のあとが大磯と呼ばれる暗礁になっているというのだから、単なる伝承とは割り切れない。
サンライズビーチ
島の東端の砂浜なので、「サンライズ」の名に偽りなし。
日間賀神社
延縄などの標識とする梵天が、神社の神の依代に転じたものという事だ。
これも古墳らしい。日間賀神社一帯は宮の鼻古墳集積地として、右上の説明版にも書いてあるが14基の古墳が確認されているという。
末社の長屋?
コルネリウス・アウエハント『鯰絵』(岩波文庫 2013)に、神無月に神が出雲へ出かけてしまった後を守る神として、「愛知県日間賀島では、留守神には(強力な荒神的特徴をもつ)山の神がなり、神無月が終ると山の神講をして山へお帰しするという。」という記述がある。三河湾の島に山の神が祀られているというのが気になって探したのだが、どうもこれらしい。土地の人のお話では、以前祀ってあった地が道路拡張により崩され、ここに移されたということだった。ただ、祠が二つあり、どちらが何の神なのか、やはり解明できなかった。日間賀島は一番高い地点でも標高30mくらいなのだが、中央部に入るとけっこう山の中という雰囲気の地点もある。
大光院
知多半島の特に南部は真言宗が強く(もっともかなりの寺院が曹洞宗などに変わっている。)、知多四国八十八ヶ所霊場がある。魚養山大光院は三十七番霊場となっている。
冬には、気象条件が良ければ富士山が見えるかも…とか。
鯖大師
大光院の飛び地境内だが、お堂はこちらの方が立派に見える。鯖を手に下げたお大師さまというのもユニーク。
呑海院
大高源吾の臍の緒碑というものがある。大高源吾(大高忠雄)は赤穂浪士の一人で、この島の出身だという。水泳が得意で、江戸へ向かう途中、浅野長矩が天竜川に落とした陣笠を泳いで取ってきたので召し抱えられたという話になっている。史料があるのか不明の伝承。右下写真の石碑にある「
安楽寺
上記のように筑前から来た別山月伝が開き、本尊は聖観音像だという。