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近江八幡(3)

武佐宿

武佐宿


愛之神

近江鉄道車内から見えたので行ってみた。

武佐宿愛之神

武佐宿愛之神


武佐宿愛之神

武佐宿愛之神


長光寺への道標。長光寺は近江鉄道の南側。

武佐宿

武佐宿


武佐宿

愛宕信仰を示す石碑


 

この道標から推察すると、ここが中山道と八風街道の交差点?


武佐宿

武佐宿


本陣跡

伝馬所跡の郵便局も宿場の雰囲気に配慮している。


武佐宿

武佐宿


武佐宿


現在の八風街道(国道421号)との交差点

武佐宿

武佐宿


広済寺

武佐宿広済寺

武佐宿広済寺


武佐宿広済寺

武佐宿広済寺


武佐宿広済寺

上の「由緒」に後光厳天皇が60日滞在したとあり、左上の石柱にそれが記されている。観応の擾乱で、正平一統が崩壊したのち足利義詮は京都を奪回し、北朝を再興すべく観応三年(1352)に後光厳天皇が即位した。正平十三年(1358)に尊氏が没し、義詮が室町幕府2代将軍となる。その最初の執事は細川清氏だった。清氏は猛将で政治的にも強権的だったらしく、幕府内に敵が多く、康安元年に失脚し、9月に義詮が後光厳天皇に清氏追討を仰ぐという事態となる。清氏は若狭から摂津へと移り、南朝と手を組んで、年末には一旦京都を奪取することに成功する。その時、後光厳天皇は再び近江武佐寺に逃れ、『太平記』によると翌年の貞治元年(1362)三月十三日に西園寺の旧宅へ還幸四月十九日に本の里内裏へ還幸なる。と京都へ戻った。
「由緒」には書いていないが、『太平記』には、文和三年(1354)年末、直冬已に大江山を超ると聞へしかば、正月十二日の暮程に、将軍主上を取奉て江州武作寺へ落給ふ。という記述がある。
ただし、「武作寺」の候補には長光寺も挙がっている


牟佐神社

牟佐神社

牟佐神社


 

勧請縄だが、この場所は苦肉の策かな。


牟佐神社

牟佐神社


牟佐神社

牟佐神社


金毘羅さん

左はお稲荷さん、右は?


牟佐神社

牟佐神社


三社が同居

大門跡


牟佐神社

武佐宿


西生来町 大宮神社

西生来町 大宮神社

西生来町 大宮神社


西生来町 大宮神社

西生来町 大宮神社


西生来町 大宮神社

西生来町 大宮神社


西生来町 大宮神社

西生来町 大宮神社


西生来町 大宮神社

西生来町 大宮神社


西生来町 大宮神社

西生来町 大宮神社


西生来町 大宮神社

西生来町 大宮神社


西生来町 大宮神社

西生来町 大宮神社


野神

西生来町 大宮神社

西生来町 大宮神社


西生来町 大宮神社


野神は大宮神社境内に自然石を立てて祀られてあり、もとは隣の武佐町と合同で祀っていたものを大宮神社境内へ勧請したという。昔は周辺の武佐・馬淵’平田・老蘇などから子供を招いて盛大に野神相撲か催されたという。*1


大将軍

愛宕さんと?


西生来町 大宮神社

西生来町 大宮神社


男山八幡宮

男山八幡宮

男山八幡宮


男山八幡宮

男山八幡宮


男山八幡宮

男山八幡宮


男山八幡宮

男山八幡宮


男山八幡宮

男山八幡宮


男山八幡宮

男山八幡宮


千僧供町

椿神社


椿神社

 
椿神社

 
椿神社

 
椿神社

拝殿
椿神社

本殿
椿神社

 
椿神社

 
椿神社

 
椿神社

 
椿神社

岩塚古墳
岩塚古墳

 
岩塚古墳

引用文献・参考資料
  1. *01 『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』滋賀県文化財保護課編 滋賀県教育委員会 2007 190~191頁

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