九度山町善名称院
お城風に威圧的な八棟造りが目を引く
伽羅陀山善名称院は大安上人が真田昌幸・信繁蟄居の跡と言われる地に、延命子安地蔵菩薩を本尊として寛保元年(1741)に開いた高野山真言宗の寺院。
真田昌幸の墓とされる
真田地主大権現
真田昌幸の霊が忿怒の相で現われたので大安上人は地主大権現として祀った。更に稲荷大明神、金比羅大権現、天満宮、住吉大社を祀った。
近世の大坂軍記物・難波戦記物が評判を呼び、近代には立川文庫で更にひろまり、NHK大河ドラマと、数百年間マスメディアに乗って知られ、人が集まってきたというのは、ある意味特異な場所ではある。大安上人にそうした才があっての事かは判断しがたいが。
九度山といえば、なんといっても女人高野と呼ばれ高野山への出発点となる慈尊院でしょうーと思うのだが、真田昌幸・信繁に対し劣勢になっている。空海が月に九度女人禁制の荒野山を下って母に会いに来たのが九度山の名の起こりというのに……
丹生川が紀の川に合流する。
吉野川-紀の川左岸の河岸段丘。