最上稲荷(4)
町石
見落としている町石も少なくないのかもしれないが、それほど多くは見かけなかった。
妙教寺
左上の写真が示すように昭和二十九年(1954)に日蓮宗から独立し最上稲荷教の総本山となったが、平成二十一年(2009)に日蓮宗に復帰した。
近世までの最上稲荷(高松稲荷とも)は、明らかに仏教優位の神仏習合だったが、明治に入り神仏分離を要求されると、当時の日宸は「正一位稲荷大明神」を「最上位経王大菩薩」という菩薩にすることで仏教寺院を維持し、この難局を乗り切った。「経王」は法華経のこと。律令制の位階である「正一位」から、あらゆる事について最高という「最上位」へ変えることで様々な祈願に対応できるようになっとも言える。
地神
岡山県の地神は五角形の石柱が知られているが、このあたりは平板な石碑になっている。
高松城跡
最上稲荷との関係で言えば、高松城の水攻め以前は天台寺院だったが、この戦いで寺が焼け、その後、城主となった花房職之が池上本門寺から招いた妙智院日円聖人が寺を日蓮宗稲荷山妙教寺として再興した。