日野町中谷、徳谷と山の神・野神
中山
金剛定寺
金剛定寺は北比都佐村大字中山に在り天台宗なり。寺傅によれば聖徳太子建立四十九院の第十七番に建てられし古刹なりといふ。本尊十一面観世音なり。天平勝寳四年四月東大寺の實忠當寺に來りて修法あり依て寺中に四月堂を建て爾後天下泰平修法の場とす。天皇勅ありて金剛定寺の勅額を賜ふ。實忠は良辨の高足南郡東大寺に二月堂を建てし名僧なり。されば始めは華厳宗たりし寺なり。延暦七年僧明一勅命により當山の東西渓谷に三十八院の塔中を建て、弘仁十四年三重の塔婆を建つ空海來りて大護摩を修す。永暦元年十二月講堂坊舎全焼の災あり。住僧祐慶上下貴賤に勧進して再建す。長寛二年に至りて就る。文治三年(建久元年)源頼朝甲賀郡伴谷の地半郷と當寺門前の地を寄附して寺領たらしむ。
(『近江蒲生郡志 巻七』滋賀県蒲生郡役所 大正十一年五月十八日発行 597~598頁)
鐘楼から右手に歩くとすぐに熊野神社の拝殿横に出る。
熊野神社
光明院
野神山
滋賀県の野神祭として最も知られているのが、国の重要無形民俗文化財に指定されている「芋くらべ祭り」。
現在は9月の第一日曜日に行われているらしい。
祭場の位置としては山ノ神という感じだが、山ノ神は別の場所に祀られているらしい。