泉佐野
蟻通神社
元々、熊野街道に面していたが、昭和十九年(1944年)に陸軍明野飛行学校佐野飛行場建設のために現在地へ遷座させられた。
上の歌碑も、その際に移された。
球形の石を祀るのは徳島県の「オフナトサン」との類似が認められるが、同様な信仰がここにもあったのだろうか。
蟻通神社旧地
関空への高速道路脇という環境。
本町・元町辺り
飯野家屋敷跡
横浜市の三溪園にある臨春閣は、食野家が所有していた春日出新田へ会所(新田の管理事務所のようなところ。)として移築(阪市此花区春日出南 1 丁目)され八州軒と呼ばれた紀州徳川家の別荘巌出御殿を、移築したもので、国の重文になっている。第一屋、第二屋、第三屋
飯野家についての参考資料として「泉佐野市立図書館:いずみさのなんでも百科」(https://library.city.izumisano.lg.jp/izumisano/nandemo/me/mesinoke.html 2019/03現在)に概略の紹介がある。
また、勝矢寛雄「泉州新風土記 泉佐野編(その1)」『大阪明浄大学紀要 (6) 2006.3』大阪明浄大学観光学部/編 p.95~101 国会図書館(NDL ONLINE)に網羅的な記述がある。
その他、『食野家關係史料』佐野史談會 1950 第1~3集、『新修泉佐野市史 第2、3巻 通史編 近世 近代 現代』泉佐野市史編さん委員会/編 清文堂出版 2009 などがある。