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寝屋川市の野神さん

いずれも五月五日に「農神さん」を祀り、牛にご馳走をし、酒を与え、きりしまつつじの花で飾り野神さんへ参拝した。そのおり牛を駆けさせたので、[牛かけ]とも呼んだ。川村では当日、豆をまき、通りがかりの娘さんにも投げたので、道も豆で白くなるほどであり、そのため水煮の豆を一石も用意したと伝えられている。この行事も、農耕の牛がいなくなったので、昔語りとなってしまった。*5

池田川村の野神さん

鉢かづき姫が道案内
池田川村の野神

 
池田川村の野神

 
池田川村の野神

 
池田川村の野神

 
池田川村の野神

 
池田川村の野神

 
池田川村の野神

 
池田川村の野神

 
池田川村の野神


池田川村の「野神さん」は、村を東に出たところの、広い公園の南偏に隣接する池田幼稚園の門前にある。大木もあって木々が茂り「野神さん」の風格を備えているが、まわりは住宅街となっている。*1

池田の野神さん

 
池田の野神

 
池田の野神

 
池田の野神

 
池田の野神

 
池田の野神

 


池田下村の「野神さん」は、現在地よりすこし北にあったが、さらに北方の、村へ入る三叉路のあたりに移り、現在では三転して近畿銀行寝屋川支店と道をはさんだ向かい側に移っている。御年神社と刻まれた石が御神体である裏には 「昭和八年五月五日遷座下納所組」と刻まれている。*2

 
池田の野神

 
池田の野神

 
池田の野神

 
池田の野神

 
池田の野神

 
池田の野神

高柳1丁目の大将軍、九個荘村役場跡

 
池田の野神

 
池田の野神

 
池田の野神

 
池田の野神

九個荘村役場跡
池田の野神

 
池田の野神

黒原の野神さん

 
黒原の野神

 
黒原の野神

 
黒原の野神

 
黒原の野神

 
黒原の野神

 
黒原の野神

 
黒原の野神


もとは村境にあったが、開発が進み住宅が建て込んできたので、現在は西黒原の村の中を流れる井路のそば(村の会館の近く)に移され、北向きに建っている*3

池田中村の野神さん

池田中村の「野神さん」のあった所は、現在では摂南大学の敷地になっている。以前は松が植えられて、その根方に石仏が並び、敷地を取り囲んで生け垣が茂っており、敷地は四角で道のすぐそばにあった。その後、大学の敷地となるや、池田中村の北端を流れる川のそばの珊胡樹のある所に移されたが、現在では旧道沿いの新しい地蔵堂に祀られている。*4

大阪市城東区鴫野東の八劔神社と野神社

 
八劔神社

 
八劔神社

 
八劔神社

 
八劔神社

 
八劔神社

 
八劔神社

 
八劔神社

 
八劔神社

 
八劔神社

 
八劔神社

 
八劔神社

 
八劔神社

 
八劔神社

南側の参道は大日寺に直結。
八劔神社

お賽銭箱から遠い野神社
八劔神社の野神社

野神社は比較的新しい感じ
八劔神社の野神社

八劔神社のウェブサイトの祭神一覧には「野神社  宮地神、鹿屋野比賣命」となっているので野神さんと考えて間違いない。年中祭事暦によると、5月22日に野神祭が行われるようだ。しかし、他の祭典と異なり、その祭りの頁へのリンクはない。6月22日の六月大御饌祭では、主祭神三柱と野神を含む四境内社に御饌が供えられる。

大日寺

真言宗御室派の寺院
大日寺

 
大日寺

 
大日寺

 
大日寺

 
大日寺


大日寺も八劔神社も東向きなのだが、大日寺の東は民家になっているので、南側の道に出るしかない。道路から見ると八劔神社の南参道のよう。
大日寺は神仏分離以前は八劔神社の別当寺だったという感じがする(未確認)。

引用文献・参考資料
  1. *01 寝屋川市史編纂委員会 /編『寝屋川市史 第8巻 [民俗資料編] 』157頁 寝屋川市 1991.5
  2. *02 寝屋川市史編纂委員会 /編『寝屋川市史 第8巻 [民俗資料編] 』157頁 寝屋川市 1991.5
  3. *03 寝屋川市史編纂委員会 /編『寝屋川市史 第8巻 [民俗資料編] 』125頁 寝屋川市 1991.5
  4. *04 寝屋川市史編纂委員会 /編『寝屋川市史 第8巻 [民俗資料編] 』157頁 寝屋川市 1991.5
  5. *05 寝屋川市史編纂委員会 /編『寝屋川市史 第8巻 [民俗資料編] 』157~158頁 寝屋川市 1991.5

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