河原尻の南河原、愛宕灯籠、野神
南河原(七谷川放水路)
「享保十三年 (一七二八 )八月の洪水を期に、綾子 (綾町 )・高野にとっては、許しがたい事を中所・北所より領主へ願い出た、それは七谷川の常の決壊個所 (南側堤防の国分境より少し下流 )をそのままにしておき、洪水の場合の放水路として三分程度分水したいというのである。綾子・高野にとっては驚くべき計画であり、とうてい承認出来るものではなかった。地勢の関係で決壊の場合の濁水は綾子・高野の集落の中を、四条ケ辻へ流れ下っている。今度は水害常襲地を恒常的な放水路にしようというのである。」*1(p.234)
愛宕灯籠
亀岡市河原林町河原尻の野神さん
明珍原の野神
川原尻の3ヶ所の野神は、『新修亀岡市史 資料編第五巻』*1の有形民俗文化財の中の石造物一覧で見つけた(この一覧表に他に野神に関連する石造物は載っていない。)のだが、具体的な位置はこの一覧表を引用した『河原林の歴史』*2にある地図で特定できた。
下五丹の野神
上福井の野神
以上の3ヶ所の野神は、七谷川(ななたにがわ)のそばという点が共通しているが、七谷川の治水・利水との関係は確認できていない。
引用文献・参考資料
- *1 河原林町史編纂委員会/編『河原林の歴史』河原林町自治会 2012
- *2 亀岡市史編さん委員会/編『新修亀岡市史 資料編第五巻』京都府亀岡市 1998