少年倶楽部 (Monthly magazine "Boys' Club")
大日本雄弁会講談社(今の講談社)が小学校高学年から中学生を対象に出版していた雑誌。『少女倶楽部』という雑誌もあった。
- 【1932年の出来事】
- 1月 国際連盟のリットン調査団発足。9月に報告書を提出。日本は翌年、国際連盟を脱退する。第一次上海事変。
- 3月 満州国建国宣言。(3月1日)
- 3月 リンドバーグの息子誘拐事件(3月1日)。身代金を払ったが、子供は5月に死体で発見された。
- 5月 五・一五事件。犬養毅首相が海軍の青年将校たちに殺害された。(5月15日)
- 7月 ロサンゼルス・オリンピック(7月30日~8月14日)。
- 7月 ドイツの国会議員選挙でナチスが第一党になる。(7月31日)
- 12月 日本橋白木屋火災(12月16日)。クリスマスツリーの豆電球を修理中にスパークした火花がセルロイドのおもちゃなどに引火したらしい。
昭和7年(1932年)7月号
上の【1932年の出来事】からの印象とは無縁な健康な表紙。
後表紙上部の英語に注目。アメリカでも年6ドルで定期購読できた。
ベルリンのトレプトー-ケーペニック区にあるトレプトー天文台の屋上にある全長21mの屈折望遠鏡。この年に完成したものではなく、数十年前からあったらしい。
望遠鏡を覆うドームが無いというのがすごい。
第二次世界大戦後、強制収容所で亡くなった建設者のFriedrich Simon Archenholdの名をとってArchenhold天文台と命名された。
現在は結婚式場!!!
パールハーバー攻撃まで10年弱。10年後には間違いなく兵士として主戦力になっている世代を読者とする雑誌だから「日本の少年は一人残らず読め!!」は、実にリアリティがある。内容はわからないが、もちろん、この『富士』の記事の様には事は運ばなかったはずだ…
『富士』という雑誌については良くわからないが、『少年倶楽部』と同様に大日本雄弁会講談社が発行していた事は間違いない。
昭和7年(1932年)8月号
表紙でびっくりするが内容は戦時色が濃いわけではない。読み物も講談風時代物もあるが、かなり多様な内容になっている。
もっとも、『風雲暗し十年後の満州』という時事解説風「軍事小説」には「ロシヤの騎兵集団が天下無敵に強いとしても、日本軍は少しも彼等を怖れない。」などという記述があって、当時の現状認識の甘さが垣間見える。そのまま昭和十四年(1939年)のノモンハン事件に突っ込んだのだろう。
裏表紙も含め、この様な予備校や塾、教材の広告がやたら多いのは対象とする読者の年齢層を考えれば当然か。
下の絵は姉川の戦いでの匂坂吉政と真柄直隆の一騎討を描いたもの。
『浅井三代記』(『浅井軍記』とも)は江戸時代の初めに『賤ヶ岳戦記』も著した木之本地蔵院 (浄信寺)の別当雄山(遊山)により書かれた。内容は「史実」とは思えないが、『浅井三代記』に書かれた真柄直隆については、浅井三代記第十五 姉川合戦の事、その他の青空文庫にある菊池寛の姉川合戦などを参照のこと。
右の小谷小学校「訓導」(現在の教諭)からの手紙によると学校の講堂に掲げると書いてあるが、さて、どうなったのだろう。