豊橋鉄道 渥美線
三河田原駅
新豊橋駅に比べるとゆとりあるターミナル駅です。
線路の終わり
いかにも昔はまだ先があったという感じ(下の略史参照)で、線路の幅の道が先に伸びています。
三河田原駅から発車します。
車掌さんは大忙し
渥美線には結構無人駅があります。ワンマンカーではないので車掌さんが無人駅では改札業務(降車客からの切符の回収)も行います。無人駅の出入り口はホームの端にありますが、どちらの端かは統一されていません。
具体的には上り新豊橋行きの場合
神戸(後)、豊島(前)、やぐま台(前)、杉山(後)、老津(前)、向ヶ丘(後)、植田(後)
と変わります。最初は当然3両編成最後尾の運転室にいますが、ホームの出入り口が進行方向側にある場合は、先頭車両まで予め歩いて行って、降りた人から切符を回収します。
ホームが、運転席と反対側の場合は運転室に入れますが、運転席と同じ側の場合は乗客用のドアで切符を回収します。乗ってくる人がいると邪魔にならないように、しかし降りた人から切符を回収せねばならないので、これは大変です。この場合は、運転手さんがドアの開閉など協力してくれます。
こうして客室内を往復する間、無人駅から乗ったお客さんに切符を売ったりもせねばなりません。
電車の交換
単線なので、このように幾つかの駅で反対方向へ行く電車とすれ違います。
渥美線の車内
特に代わり映えしませんが、東急から入手したちゃんとした通勤・通学用電車です。
実際、新豊橋と愛知大学などがある大学前駅間は通学路線で、また宅地の造成も三河田原方面へ伸びていて結構通勤路線でもあります。しかし日中は高師を過ぎたあたりから、乗ってくる人たちは結構ひなびてきます。
新豊橋駅:1面2線の簡単なターミナルです。三河田原から35分です。
略史
渥美線は、渥美電気鉄道により1924年(大正13)高師-豊島開通から始まり、1927年(昭和2)に新豊橋-黒川原間が開通しました。
1940年(昭和15)戦時統合により名鉄に吸収され、1954年(昭和29)に豊橋鉄道に譲渡されました。
1944年(昭和19)年6月に三河田原-加治-黒川原間は資材供出させられ休止、豊橋鉄道への譲渡時に正式に廃止されました。
新豊橋駅は1925年(大正14)に現在の花田信号所の場所に作られ、1927年(昭和2)に現在の位置に移りました。
大学前駅の大学は私立の愛知大学ですが、渥美線開通時は師団口という駅でした。ここには陸軍第十五師団がいたのですが、駅ができた頃には軍縮の一環として廃止されていたはずです。
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