阪急淡路駅
阪急の京都本線と千里線の駅で構内の配線が込み入っているのが面白い(と言っては申し訳ない)。一号線が無いというのは結構有名な話。JR外環状線の駅ができればなにか抜本的な改良が加えられるかもしれないが、阪急HDはキャッシュがないからあまり希望を膨らませない方がよいのかも。
確かに1号線はない。
淡路東口側から見た電車。レトロな雰囲気の商店街から見える電車もどこか懐かしい。
ホームに立っている人があまりに近くの真上にいるのが、とても不思議な景色。
駅の東西を結ぶ地下道の東口側入り口から見上げると、電車がすぐそこに。
東口はなんかプレハブの仮設建築みたいな駅舎で、定期券売り場は改札口脇を上がったところにある。
駅南側の踏切より。ここではもう十三方面と天六方面の線路が分かれてしまっているので、踏切も二分されて間が孤島になっている。
こちら側から見ても線路のカーブがきついのがよくわかる。
高槻市まで乗り入れている大阪市営堺筋線の電車が柴島(くにじま)方面に発車。
十三方面は次の崇禅寺駅まで、ほぼ直線。
西口(方角としては北西)の駅舎は改めて見るとなかなかレトロ。乗降客としては狭くてしょうがないというところだろうが。
千里線の踏切から駅の北側を見る。天六・梅田方面への線路がグイッとカーブしている。
左には京都線が停止中。淡路は通過する京都線の快速特急もここでは徐行や停止を強いられるが、これは新京阪時代は大阪側のターミナルは天六(天神橋)だったから仕方ないのかな?
プラットホームから駅の北側を見る。
梅田、天六方面ホームの北側の端。白線の内側に下がると反対側の白線の外側に出てしまう。
幸い、ここらに電車は停まらない。
「×○ト」
「○ト」で、ドア(戸)が閉まったので発車ヨシということ。
1928年(昭和三年)1月は新京阪が淡路から高槻市まで開通した時。歴史ある柱です
なお、天神橋-淡路間は1925年(大正十四年)10月に開通していました。
左の写真をクリックすると、
1970年の淡路駅へワープします。
2006年2月
男子トイレ前から階段を下り、西改札口をとおり、東口への地下道へ降りる。
工場の中の通路を思い出させる。