一心院
知恩院の勢至堂の向かい(南側)にある浄土宗捨世派本山。
法垂窟
知恩院の大鐘楼から東山山頂公園への道を上って行くと「ほうたるのいわや」と読むらしい洞窟がある。
洞窟右手の石碑は内容的に浄土真宗の人が建てたらしい。
法然(国光大師)が中国の浄土教の僧である善導と真葛ヶ原(東山のこの辺りを指す古名)で出会う線刻のレリ―フ。
「将軍塚道」の道標。
法垂窟西側の谷と下の写真の聖天堂の間は青蓮院の土地らしい。
東山山頂公園への登山道は青蓮院飛地境内の将軍塚を経由する。
聖天堂
法垂窟右手の東山山頂公園への登山道を右に曲がって下ったところにある。安養寺の飛地境内。
安養寺
知恩院の大鐘楼を南に出たところにある。
最澄の開創と伝えるが、慈円(久寿二年(1155年)~嘉禄元年(1225年))が中興したとされる。比叡山の黒谷を出た法然は、まず西山広谷へ行き、それからここ東山吉水へ移った。
都をどり功労者尾田木ゆう墓所という石柱がある。
尾田木駒造の墓はあった。尾田木駒造は上方歌舞伎の八代目浅尾奥山。都をどりとの関係は調べがつかず。
吉水弁財天
安養寺の飛地境内。
「安養寺宝塔」として国の重文(指定番号:01465)、慈鎮和尚の多宝塔
慈鎮は諡号で『愚管抄』の著者として知られる慈圓のこと。関白だった法性寺殿藤原忠通の子で九条兼実の弟にあたる。『小倉百人一首』九十五番に前大僧正慈圓として「おほけなく うきよのたみに おほふかな 我たつそまに すみそめのそて」という天台座主らしい歌が採られている。
滝行場
円山の六坊
料亭の
金玉山雙林寺
創建当時と現在は天台宗。
至徳(1384年~1387年)年間に国阿(国阿弥陀仏(1314年~1405年))が入り時宗東山道場となった。国阿の時期には正法寺、安養寺、長楽寺なども時宗となっており、この頃の時宗の勢いを示している。
近世後半には、画廊のような使われ方もして、書画などの展覧会・展示即売会のような催し会場にもなった。
安井金比羅宮
縁切り・縁結び碑が流行るのは、縁切りを願う人が多いからではないことを期待したいですね。
絵馬殿の外壁に架かっている絵馬、
本殿
久志塚