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乙訓

京都府と大阪府の境のあたり。水無瀬から向日市あたりまで


神足こうたり神社

 
神足神社

 
神足神社

 
神足神社

 
神足神社

 
神足神社


旧神足村の産土神というのは確かだろうが、祭神、由緒は謎が多い。現在の祭神は天神立命あめのかむだちのみこと。この神様は偽書とされる『先代旧事本紀』にニニギの天孫降臨に先立って下ったニギハヤヒに従った神の中に名があるが「山背久我直等祖」とされており、恐らく地元豪族の祖神とされていたのだろう。神社そのものは『延喜式』神名帳の乙訓郡十九座大五座小十四座の小の一つ、神足カウダニ神社とされ歴史は古い。
明治時代に東海道線建設で立ち退きさせられて現在地に移ったという。
現在、長岡天満宮兼務神社となっている。

 
神足神社

 
神足神社

 
神足神社

 
神足神社

野神神社(神足神社の境内社)

 
神足神社

 
神足神社

 
神足神社

 
神足神社

 
神足神社


社務所にあったリーフレットには、
12世紀には小野宮領内荘園「神足園」にあった
元禄年間(1688~1703)には「田の南」で「村の巽」
(東南)にあった18世紀の初め、「坐村艮(北東)杜内」
明治5年東海道本線建設のため稍々鐵道より東の現在地に移った
とある。この埜神に奉納された石燈も、その頃に(「明治」の下の文字が読み取れない)立てられたようだ。

勝龍寺城土塁跡

 
勝龍寺城土塁跡

 
勝龍寺城土塁跡

 
勝龍寺城土塁跡

 
勝龍寺城土塁跡

 
勝龍寺城土塁跡

 
勝龍寺城土塁跡

 
勝龍寺城土塁跡

 
勝龍寺城土塁跡

勝龍寺城

本丸? 休憩所と資料館



土塁



隅櫓


勝龍寺城は小畑川が犬川と合流する地点の北側にある。天王山と淀川合流点の間の隘路を北に抜けたところで、交通の要衝と言える。南北賞時代の暦応二年(1339年)北朝の細川頼春が築いたと言われる。ただ、この年は後醍醐天皇が崩御して、南朝の勢いは著しく低下していたから、この時期に南朝に対する防御として築城する必要があったかは疑問を感じる。明智光秀の娘「玉」(洗礼名ガラシャ)が細川忠興と結婚して住んだということで、11月上旬に長岡京ガラシャ祭が行なわれている。
勝龍寺という寺は、この城のもう少し南にある。合流地点の西側には恵解山いげのやま古墳がある。5世紀・古墳時代中期に造られた全長128mの前方後円墳で、この地域としては大きい。