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大洞弁財天(長寿院)

長寿院は元禄八年(1695年)に彦根藩四代目の藩主井伊直興の発願によって建立された。真言宗醍醐派。
井伊直興(なおおき)は1688年に日光東照宮改修総奉行を任じられてこれを成し遂げた。楽々園とか玄宮園も造った建設マニアっぽい感じの人物だが、大老を務めてきた井伊家の地位誇示の目的もあっただろう。
直興は1717年に62歳で亡くなり永源寺に葬られた。戒名は長寿院覚翁知性なので長寿公と呼ばれたというが、あるいは長寿院に因んでつけられた戒名にも思えるし、「長寿公」も長寿院を建てたのでそう呼ばれたのかもしれない。
(Cf.http://hikone-400th.jp/retsuden/contents/post_1.php)


石段の登り口はJRの踏切のすぐ脇。
踏切の手前までは昔は松原内湖があり、彦根城から舟で来ることができた。船着場の跡だけ残っている。

登り口には子安地蔵が。


長寿院

長寿院


鳥居が続くので神社と思ってしまいそう。弁才天はどこでも神仏習合が顕著。「大寶王」と書いた扁額が掛かっている。

長寿院

長寿院


二天門

長寿院

C長寿院


二天門の左は北を護る毘沙門天と地を護る堅牢地神。

長寿院

長寿院


二天門の境内側には賢そうな狐。阿吽の白狐とは?お稲荷さんじゃあるまいしどういう発想だろうか?
階上には大黒天が四千体?

長寿院

長寿院


長寿院

二天門からは正面に彦根城がよく見える。


阿弥陀堂。弁財天堂の右側にあり、一段高い場所で建物も大きいのでこちらの方が本堂という感じがする。
経蔵がある車道で上がってくると駐車場からはここの正面の石段を上がる事になる。
領内から25万9526人から鳥目二七〇貫三三八文の寄進が集められた。長寿院境内内の阿弥陀堂には寄進者全ての霊位が戦国以来の近江領内の城主・館主とともに祀られている。(http://hikone-400th.jp/retsuden/contents/post_1.php#add_03)

長寿院

長寿院


弁財天堂。二天門から入ると正面にある。
つまり参道の石段から、この弁財天堂、奥之院までが彦根城を向いて真っ直ぐに並んでいることになる。
彦根城の鬼門を守ると言われるが、この弁天山の南は峰続きで佐和山なので、彦根城を攻められた時の出城、脱出先といった思惑もあったのではないかという気がする。

長寿院

長寿院


長寿院

長寿院


この弁天さんは優雅に琵琶を弾いていたりしないで、武装しているようだ。

権現造りの弁天堂とは、いかにも日光東照宮改修総奉行らしい。


長寿院

長寿院


格天井には色々な花が描かれている。

護摩と焚いたりしたからだろう、煤がこびりついてしまって当初の華麗な色は失われている。


長寿院

長寿院


弁財天堂は裏からも参拝可?

奥之院への石段。


長寿院

長寿院


奥之院

長寿院

長寿院


長寿院

弁天さんの上にはやはり宇賀神がいないと。


宇賀神を祀る奥之院は、彦根城天守閣延焼防止のお礼として建立された。宇賀神+白蛇≒琵琶湖の龍神?

長寿院

長寿院


宝蔵。江戸時代に建てられた校倉造。

長寿院

長寿院


 

逆に彦根城から弁天山、佐和山を見る。
江戸時代はこの間は松原内湖だった。

弁天山をクローズアップ。


長寿院

長寿院