法界寺
開基は日野資業(すけなり)。1051年(永承6年)に最澄自作の三寸の薬師像を胎内仏とする薬師如来像を安置するお堂を建てたという。
山門と道向かいの家。
二階の丸と扇形の窓が楽しい格式ありそうな建物だ。
山門。
阿弥陀堂
造形的な美しさというよりもこのお堂の周囲の環境とこのお堂の雰囲気との調和の素晴らしさ。阿弥陀如来像には脇侍がいないが、丈六の堂々とした姿。国宝。内部の柱などの彩色、絵画もかなりはっきりとしていて、建設当時の荘厳ながら綺羅びやかであったであろう雰囲気を想像させる。
五間四方のお堂は鎌倉時代のもので、これも国宝。
左側から。
正面から。
右側。
薬師堂から。
薬師堂
こちらが本堂だが本尊が秘仏のためか阿弥陀堂に比べて印象が薄い。
重要文化財の建物も室町時代のもので阿弥陀堂よりも後の時代のもの。
この薬師如来は安産・乳の出をよくする事を祈願しに女性が参拝するので「日野薬師さん」「乳薬師」と言われる。実際、内陣との間の格子には絵馬の様な感じでよだれかけがびっしりと結びつけられていた。
この寺の名前が頭の隅に残っていたのは、正月の裸踊りの新聞記事からだった。日野の裸踊り
(京都新聞:http://www.kyoto-np.co.jp/kp/movie/player.php?id=20070114hadakaodori)
下帯姿の男たちが体をぶつけ合う伝統行事「裸踊り」が14日夜、京都市伏見区日野の法界寺で営まれた=写真。「ちょうらい(頂礼)、ちょうらい」と、地元の男性や児童たちの元気な声が境内に響いた。
江戸時代中期に始まったとされる。毎年、豊作や1年の無事を祈願する修正会(しゅしょうえ)の法要の結願(けちがん)日に行われる。地元の小学生や男性計約45人が参加した。
阿弥陀(あみだ)堂の広縁で、子どもたちが元気いっぱいに手を打ち鳴らしたあと、頭から水をかぶった男性たちが登場した。体を激しくぶつけ合うと湯気が立ち上り、境内に詰め掛けた参拝客から歓声が起こった。
蓮が咲いた池。
その向こう側に小さなお堂があるが、裏の駐車場側からも近づくのは難しかった。
池越しに見た阿弥陀堂と薬師堂。裸踊りの賑やかさがうそのように静かだ。