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実相院

紅葉の名所。


右上に説明があるが、天台宗寺門派の単立の門跡寺院。寛喜元年(1229年)、静基じょうきにより紫野に開山。応仁の乱の時に現在地へ移ったという。本尊は鎌倉時代作の木造不動明王立像。説明板には、寛永年間に室町幕府最後の将軍の足利義昭(1537年~1597年)の孫の義尊が入寺したと書いてあるが、この義尊という僧は謎が多い。この実相院の義尊を義昭の子とする史料もある。父とされる義尋ぎじんが足利義昭の子であることは織田信長に人質として預けられたことから確かだが、この義尋が幼少で出家させられた時に義尊と名乗っていたらしく、それが混同の一因かもしれない。義尋は還俗し古市胤子たねこを妻としたが、その死後、胤子は後陽成天皇に仕え、子供を3人もうけた。義尊を義尋と胤子との間の子とすると、これにより皇室とのつながりが深まったらしい。


枯山水と池泉回遊式庭園がある。


大雲寺、岩座神社


実相院の影に隠れてしまっているが、大雲寺と岩座いわくら神社の歴史は実相院より古い。
大雲寺は平安時代の創建で平安朝の頃円融天皇比叡山行幸の砌、当山の頂上に紫雲たなびくのを眺めて、霊地なることを知られ勅願により創建された大雲寺は、行基菩薩作「十一面観音」を本尊とする観音院を始め四十九の堂塔と千人に及ぶ僧を擁し、洛北屈指の名刹と称されたということで、源氏物語若紫の巻で光源氏が10歳くらいの後の紫の上を見た"北山のさるお寺"のモデルという説もある。
岩座神社は京都市の説明のようにややこしいが、八所大明神と十二所大明神は大雲寺の鎮守社。蛇の伝説に因んだ10月23日未明に始まる火祭は、その松明の大きさで有名。
大雲寺は平安中期の後三条天皇の皇女が精神的な病気を患い、祈願して井戸水を飲むと治ったという伝承がある。江戸時代、治癒を願い訪れた人々を地域の茶屋や民家が預かって療養し、「家庭看護」の発祥地とされる。念仏や井戸水飲用、滝に打たれる灌水(かんすい)療法も行われたという。 (京都新聞より)という事で、精神病医療地だったようだ。現在もこの周辺には精神病治療施設ではないが、北山病院、洛陽病院、いわくら病院と病院や介護施設が多い。


八所明神と十二所明神で計二十柱の大所帯。とにかく鈴を振ってみよう。

向かって左側(西)の十二所明神本殿の鈴の音と、
右側(東)の八所明神本殿の鈴の音


大雲寺はもともとは実相院のすぐ北側だったが1985年に現在地に引っ越した。



ここから下が旧境内。




中在地、忠在地

「岩倉」の中でも叡電岩倉駅北側一帯には、宅地化される前の農村の面影が残っている。特にその中央にポツンとある独立丘の小倉山の西に位置し極端に南北に細長い左京区岩倉中在地町と岩倉忠在地町あたりの細い曲がった道と大きな屋敷に、近世の集落景観を感じ取れる。

愛宕燈籠
愛宕燈籠

 
愛宕燈籠


 
愛宕燈籠


石仏
石仏

 
石仏


 
石仏

 
石仏


 
石仏

 
石仏


 
民家

 
民家


 
民家

田の神を祀った地
民家