藤原俊成と和歌の神様達
新玉津島神社
千載和歌集の編者であり、また平家物語の忠度都落で有名な藤原俊成の屋敷は烏丸松原通(昔の五条通)に烏丸通をまたぐ形であったそうだ。
新玉津島神社は藤原俊成が和歌山の和歌浦にある玉津島神社を勧請したもの。
玉津島神社は和歌の神様、衣通姫(そとおりひめ)を祭神の一つとしている。
玉津島神社の衣通姫は和歌三神の一人だが、他の二人は住吉神社と柿本人麻呂。柿本人麻呂はともかくとして、
- 古事記では衣通姫は、(1)允恭天皇の妃と、(2)その息子の木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)との近親相姦で心中する妹という二つの衣通姫の話があり両者は母子ではないかと言われているようだ。しかし、母娘いずれも和歌の神様になる要素はないだろう。
- 住吉神社も何故和歌の神様なのか根拠不明。祭神は
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が火神の出産で亡くなられた妻・伊邪那美命(いざなみのみこと)を追い黄泉の国に行ったが妻を連れて戻ってくる望みを達することはできず、逆に汚れを受けてしまう、その汚れを清めるために海に入って禊祓いしたとき、住吉大神である底筒男命(そこつつのをのみこと)、中筒男命(なかつつのをのみこと)、表筒男命(うはつつのをのみこと)が生まれた。もう一人の祭神である神功皇后は新羅に出兵する際、住吉大神の力をいただいたことがきっかけ。(住吉大社のWebサイトより一部省略)
。これら住吉大社の祭神はどう見ても和歌とは縁がない。
入り口に立つ標石は、
右は定家様で書かれた「新玉津島神社」、左は「北村季吟先生遺蹟」。北村季吟(きぎん)は徳川幕府に和歌の解釈などを司る歌学方(かがくかた)に任じられた人。この役職はその後代々北村家の世襲となった。
木製の鳥居かと思ったら上の横木がない。
冠木門ということか。
手水場は使われていないようだが井戸は使えるるようだ。
本殿。手前は拝殿。
駐車場越しに見る屋根の曲線がなかなか美しいと思う。
烏丸通を東に渡った所が俊成町。因幡堂のすぐそば。
烏丸松原東南の烏丸通りに面した俊成町のビルの一角に祀られた俊成社
住吉神社
醒ヶ井通高辻下ルにある住吉神社。
和歌三神の一つとしてかつては俊成の屋敷にあったようだ。摂社として本殿の右(南)に人丸社(柿本人麻呂)がある。
左の説明を書いた冷泉為紀(ためもと)は冷泉家21代目の明治時代の当主。
人丸神社
菅大臣神社
菅原家の邸宅址とのこと。
鼻の頭を看板で塞がれてしまっている。
牛は屋根つきで厚遇されている?。
菅原道真の産湯につかった井戸というが?
産湯の井戸はここにもある。
南の高辻通からの参道。
北の仏光寺通からの参道。菅家邸址の石碑がある。
菅直人氏が厚生大臣だったときは菅大臣と呼ばれていたのかな?…と変なことを疑問に思ってしまった。
そう考えると日本政府の名称には「大臣」という呼び方や、旧「大蔵省」とか律令制の伝統を引き継いでいる名前が残っていることを改めて認識させられる。(これは明治政府の王政復古の発想だろうが)
仏光寺通の北側にある紅梅殿。最初は菅大臣神社と一つの神社だったのが鎌倉時代に菅大臣神社を白梅殿として南北分断されたようだが、事情は調べがついていません。
ここにも菅家邸址の石碑がある。