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北白川の石仏

今出川の北白川バス停近く、志賀越道が分かれるところにある石仏。
ここらは北東から南西への斜めの道が多いが、これは高野川と鴨川との間をショートカットするように幾つかの川がありそれに沿った道があったからなのだろう。子安観音の説明に書いてあるように、今は京大で遮られているが東山東一条から荒神橋までの斜めの道も現存している。これは荒神橋西詰のあたりの荒神口を出発点とする志賀越(山中越)で、崇福寺へ行く道として古今和歌集にも幾つか採られている。志賀越道の志賀側は、こちらを参照。


志賀の山ごえに女のおほくあへりけるに
よみてつかはしける

つらゆき

梓弓春の山辺をこえくれば

道もさりあへず花ぞちりける

志賀の山ごえにてよめる

はるみちのつらき

山がはに風のかけたるしがらみは

流れもあへぬもみぢなりけり


岩波文庫版より


夜見ると、けっこう怖い。


今出川の南側にある石仏たち。
大日如来の笑みが優しい。



京都大学本部南西角の吉田本町の道標。志賀越は京大本部を北東から南西に抜け、荒神橋東詰め辺りまで斜めに通っていた。


左に行けば百万遍

右に行けば坂本、唐崎、白川



鴨川を荒神橋で渡り御土居の内側、上京区袋町のマンションに祀られている石仏。
お地蔵さんではない。


幸神社(さいのかみのやしろ)



それなりに有名になっている神社。
主祭神は猿田彦大神。サルタヒコはニニギが葦原中国へ下る時(いわゆる天孫降臨)に道案内をしたということから、道や旅人の神様とされた。京都で言う「出雲路」とか「出雲氏」は不明な点が多い。出雲とはもちろん現在の島根県の出雲だが、そこからの移住民がこの一帯に住んでいた。ここらについては、森浩一著「京都の歴史を足元からさぐる」の「洛北・上京・山科の巻」第4章に詳しい。
また、サルタヒコとアメノウズメについては京都新聞のふるさと昔語り(http://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mukasikatari/070208.html)が、狂言「石神」はお豆腐狂言 茂山千五郎家のサイト(http://www.soja.gr.jp/guide/#guide000901)が参考になる。




東側には末社がずらりと並ぶ。

覆堂に隠れて見付けにくいが、社の東側面に彫られた猿。
京都御所の鬼門を守る一群の猿の一つ。



西側が更地になり珍しい眺めが出現。(2012/5)

寺町通りの"幸神社はこちら"の石碑。