義仲寺
京都観世会館で能「巴」を見た翌週、義仲寺を訪ねた。
前の道は旧東海道。
山門手前の巴地蔵堂。
巴塚。
木曽塚。
義仲寺の名は、平家討伐の兵を挙げて都に入り、帰りに源頼朝軍に追われて粟津(あわづ)の地で壮烈な最期を遂げた木曽義仲(きそよしなか)(1154-84)をここに葬ったことに由来しています。近江守護であった佐々木六角が、室町時代末期に建立したといわれています。江戸時代中期までは木曽義仲を葬ったという小さな塚でしたが、周辺の美しい景観をこよなく愛した松尾芭蕉(1644-94)度々訪れ、のちに芭蕉が大阪で亡くなったときは、生前の遺言によってここに墓が立てられたと言われています。
滋賀県観光情報のサイトより。(http://www.biwako-visitors.jp/search/spot.php?id=410)
木曽八幡。
本堂である朝日堂の内部。
山吹供養塔。JR大津駅前から引越し。
芭蕉の関係
芭蕉は1694年10月12日午後4時ごろ大阪で亡くなり、遺言に従って遺骸を義仲寺に葬るため、その夜、去来、基角、正秀ら門人十人、遺骸を護り、川舟に乗せて淀川を上がり伏見に至り、十三日午後義仲寺に入る。十四日葬儀、深夜ここに埋葬した。
(寺のパンフレットより)
翁堂。天井には伊藤若冲の四季花卉図。
芭蕉翁の墓。
そういう訳で義仲よりも芭蕉の存在が目立つ寺。
天孫神社
2011年1月、2014年10月
大津祭の元宮。
曳山巡行の出発点でもある。
本殿の左右に曳山の写真が掲げられている。
宵宮の天孫神社
屋台がぎっしりの境内。
宵宮の曳山巡り
天孫神社前の通り。
西行桜狸山(狸山)
韋駄天が鬼を追う。左甚五郎作と言われている。