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大津のスナップ

今井兼平の墓

昔はここに橋があり、こちらが入口だったか?

前を流れるのは盛越もりこし川だそうです。




「兼平庵」という建物。


JR石山駅の北側にある。今井兼平は源(木曽)義仲の家臣。寿永3年(1184)源義経らの軍と粟津で戦い、最期は口に刀をくわえて馬から飛びおりるという壮烈な死にざまであったという。江戸時代の寛文7年(1667)膳所藩主本多康将(やすまさ)が山手にあった墓碑を現在地に移した。市指定文化財。(大津歴史博物館のWebサイト:http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/jiten/data/135.html より 2015/11/01)
今井四郎兼平の最期は『平家物語』巻第九「木曽最期」に今は誰をかばはんとていくさをばすべき これ見給へ東国の殿原日本一のかうの者の自害する手本よ とて太刀のきつさきを口に含み馬よりさかさまに飛び落ちてつらぬかつてぞ失せにけるとある。





墓までに立ち並ぶ石碑や献燈の奉納者名を見ると、子孫の「今井」さんは長野県や群馬県におられるようだ。




JR大津駅にある北緯35度線

上りホームの西端で、ちょっと寂しい位置にある。



山吹地蔵

山吹供養塚は義仲寺へ移されている。



若宮八幡神社

これでは読みとれない
若宮八幡神社

膳所城から移築した門
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

新羅神社の鳥居は若宮八幡神社とは別
若宮八幡神社

門も別になっている。
若宮八幡神社

大津市膳所別保町字内海道にあった新羅神社は、昭和三年に若宮八幡神社に合祀された。
(滋賀県立公文書館所蔵[請求番号] 明-す-27  [編次] 83 [No.] 400)

新羅神社は、境内社の中でも別格扱い。
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

若宮八幡神社の祭神は『神社明細帳』によると、
左 應神天皇、中 仁徳天皇、右 武内宿弥となっている
(請求番号 明-す-17-1 [編次] 100 [No.] 9)。本殿は二棟で、向かって右が大きい(↑)。

 
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

鳩がいっぱい
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

生ものの鳩たち
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

 
若宮八幡神社

神社の南と西を東海道が通っている。
若宮八幡神社