石馬寺と瓜生山
2011年5月
JR能登川駅と近江鉄道の五箇荘の間、北向岩屋十一面観音の猪子山から観音正寺の繖山(きぬがさやま)に連なる山の中央あたりにあたる。1300年前に聖徳太子が当地を訪れ、山麓の松の木に馬をつなぎ、霊地を探して山上に登り、もどるとその馬は石になって池に沈んでいたことから、これに霊異を感じた太子が開基したと言われています。
(滋賀県観光情報:http://www.biwako-visitors.jp/search/spot.php?id=1297)
ここらの歴史ある寺によくあるように南都法相宗から天台寺院となり栄えたが、戦国時代の兵火で衰退、宮城県の松島青龍山瑞巌円福禅寺(瑞巌寺)を再興した
因みに瑞巌寺も天台宗の寺が戦国時代に衰退し臨済宗妙心寺派の寺として再興されたもの。
山麓の松の木に馬をつなぎ
の松の跡。
馬は石になって池に沈んでいた
池。池の中の細長いものが馬の背?下の大門跡の左側にある。
大門跡。松の向かい、寺への石段の手前。
僧坊、塔頭の跡と思われる岩組みは城壁のよう。
右に登ると石馬寺、
直進すると雨宮龍神社、
左に行くと六所神社。
これらはかつては一体だったのが明治初めの神仏分離令で分けられたのではないだろうか?
まずは石馬寺へ。
大方丈…と言うよりも本堂。
麓の聖徳太子が馬をつないだ松の幹の実物の一部なんてものがあった。
大仏殿。
阿弥陀如来、二体の十一面観世音菩薩立像、四天王、役行者、前鬼と後鬼、大威徳明王など重要文化財が並んでいる。
展示してあるという感じで信仰の場という感じはしない。
阿弥陀如来は丈六の巨体。その左右に十一面観音像、どちらかと言えば左側の像が優しく趣味かな?
新しいが屋根の形が美しいなかなか良い建物だ。
なんといっても緑が美しい。秋もよいだろう。
行者堂。役行者と前鬼・後鬼は以前はここに祀ってあったのだろう。
重文の役行者像は鎌倉時代の作との事で、一般に割りに素朴な像が多い役行者像の中で、丁寧、緻密彫られて見応えがある。
「閻魔大王坐像修理費御寄付の御願い」という紙をいただいたのだが、閻魔堂もある(あった?)らしい。閻魔大王坐像は平成25年秋に修理完了・開眼法要の予定とあった。
今度は山頂の雨宮瀧神社へ。
頂上までほぼずっと石段が続く。
この山の下を「きぬがさ山トンネル」が通っている。
右上の説明にあるように、もともとは八大龍王を祀っていた。
八大龍王は龍のイメージからか雨乞いの神様だが、仏法を守護する神なので神仏分離令時、雨宮龍神という名にしたようだ。これは苦しい中での絶妙なネーミングだと感じる。
説明にある文政11年は19世紀なので推古天皇時代の創始、弘法大師による雨乞いの実施の社伝をもつ
からすると随分時代が下がるが、それだけ長い間しっかりと守られてきたという事だ。
これは磐座だろうか?
社の前にあるというのが不思議。
六所神社へ。
六所とは六柱(人?)の神様を祀っている神社となるが、ここの祭神が誰なのか説明板は無かった。