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豪徳寺

2011年10月-2012年12月


 世田谷区豪徳寺にある大渓山豪徳寺。
招き猫発祥の地という事と井伊直弼の墓があるので有名だが、それよりも小田急の豪徳寺駅や地名としてだけ知られている感じもする。
この辺りには14世紀に清和源氏系の吉良氏により世田谷城が築かれた。城は豊臣秀吉の(後)北条氏・小田原城攻略の後に廃城となった。その時吉良氏は上総に逃げたはずだが、その後横浜市の南区蒔田町辺りで蒔田氏を名乗っている。豪徳寺は1480年(文明12年)に吉良政忠が建立した弘徳院が前身という事で、吉良氏は清和源氏・足利氏に近いという家系のおかげでうまく立ちまわって生き延びたようだ。
江戸時代17世紀前半、彦根藩第2代藩主井伊直孝の時に一帯は井伊家の所領となり弘徳院が井伊家の菩提寺とされた。豪徳寺の名は直孝の戒名「久昌院殿豪徳天英居士」による。
井伊家の菩提寺となるにあたっては、鷹狩の帰りの井伊家御一行様を猫が寺へ招き入れて夕立に濡れずにすんだのが契機というのが招き猫の起源のお話。

Gotokuji temple

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山門

山門を入ったところ。
左に三重塔。正面(この写真では右側)に仏殿。


Gotokuji temple

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世田谷の住宅地に三重塔を見るのは、ちょっと不思議な光景。
そしてよく見ると、招き猫だの十二支だの、サービス精神旺盛な塔だった。

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鐘は1679年(延宝7年)藤原正次作。藤原正次は釜屋六右衛門ともいい、滋賀県出身の家系の鋳物師。
小舟町八雲神社鉄製天水桶を参照。

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仏殿

仏殿は彦根藩二代藩主直孝の娘、掃雲院が三代藩主直澄の菩提を弔うため、延宝五年(1677)に建立した黄蘗様式の建物で世田谷区指定有形文化財となっている。桁行(間口)五間(実長17.76m)、梁行(奥行)六間(実長15.82m)、身舎もやは正面三間、側面四間、背面五間。一重裳階もこし付きの入母屋造りで、身舎と裳階の屋根は銅板葺きで南を正面とする。なお、屋根は昭和五十四年に、瓦葺きから瓦棒銅板葺きに変えられた。 側柱や裳階柱の下は方形の礎盤、基壇は石垣積みである(出典:世田谷区郷土資料館編 『豪徳寺 文化財綜合調査報告』 東京都世田谷区教育委員会 1987)。一般的な禅宗様では裳階下の吹き放しは正面と背面のみだが、この仏殿は四方吹き放しとなっているのが特徴。

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紅葉の季節。

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招福殿

観音様が祀られていて、招き猫はその眷属だそうで。

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本堂

納骨堂


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彦根藩主の墓があるのだから、当然ひこにゃんが訪れたこともある。その写真が方丈のお守りや招き猫を売っているところに飾ってあった。YouTubeの「ひこにゃん 井伊家お墓参り」でその時の様子を見ることができる。
ひこにゃんがかぶっている兜は左右から金の角が出ている大脇立で、これは井伊家の総大将しかかぶれない兜なのだ。

庫裏

開祖堂


Gotokuji temple

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