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大山(おおやま)に登る

2011年11月

Mt. Ohyama

小田急伊勢原駅から北を見ると、大山の形の良い姿が目立つ。
多くの神社と同様に、最初に巨石信仰があったと思われる。
それから仏教が入り神仏習合が進み、修験道が盛んになった。
御多分にもれず明治初期の神仏分離令で大山寺と阿夫利神社に分けられてしまった。


Mt. Ohyama

こま参道
滋賀県の蛭谷(ひるたに)では惟喬(これたか)親王がろくろ挽きを地元の人に教え、木地師の始まりの地となったととしているが、その話がここで出てくるとはビックリ。
山を渡り歩いた木地師が大山詣の土産として作り始めたのが「大山こま」なのだそうです。


茶湯寺(誓正山茶湯殿涅槃寺)

百一日参りの由来(通称大山の茶湯寺)
亡くなられた方の霊は四十九日まで其の家の棟の下にいて五十日めから黄泉路の旅へ出発します。 残された家族が四十九日に菩提寺に上げる四十九個のおもちを一日一日のお弁当とし家族の方が毎日お佛壇にそなえるお水でのどをうるおし百ヶ日めに極楽の門に至り佛様に成られます。
 百一日は佛様と成られた故き人が御先祖様の仲間入りの為に我が家へ帰る日であり家族の方は故き人が無事に成佛したお礼詣りに大山茶湯寺へ参拝しますがそれを知っている佛様は茶湯寺の石段で家族の来山を待っているといわれます。
 大山の茶湯寺は開山以来九百年の傳燈を継承する秘法百一日茶湯供養を奉修しますが此の日供養したお茶がそれまでのお水にかわって新しい佛様に御先祖様と同じようにお茶湯するお佛壇の最初のお茶になるわけです

(大山こま里 金子屋:http://www2s.biglobe.ne.jp/~ooyama/akusetu.htm)

Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


 

ちょっと古めの民家という感じだが、


Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


涅槃像が見える仏間だけは格天井の絵も華麗な部屋。

庭の祠には鉈彫り風仏像が二体。左は役行者か?


Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


Mt. Ohyama

大山寺に歩いて行くのでケーブルカーの駅には行かず左へ向かう。


Mt. Ohyama

無理が感じられる七不思議だけど、山登りの単調さを紛らわせてくれそうなのでフォローしてみる。


男坂と女坂の分岐点、追分社。
昔は前不動堂だったらしい。

追分社の右手に男坂の石段がある。


Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


Mt. Ohyama

女坂の左手は最初のうちは古い墓地。


 

七不思議の第一番。


Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


 

七不思議の第二番。


Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


 

七不思議の第三番。


Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


 

七不思議の第四番。


Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


前不動堂。追分から移築されたようで、如何にも修験者の峰入りに使われたという雰囲気。

Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


Mt. Ohyama

こちらは宿坊?


前不動堂の向かって左横にある倶利伽羅堂。

Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


雨降山大山寺

Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


雨降山大山寺は真言宗大覚寺派の寺で、創建は755年(天平勝宝七年)で良弁(ろうべん)が開祖という。良弁(689年~774年)は東大寺の大仏建立に尽力し東大寺初代別当となった。滋賀南部には石山寺や金勝寺など良弁を開祖とする寺院が多い。こんな所に良弁開基の寺があるのは、良弁が相模国の出身で不動堂を建てたという事になっているからだが、滋賀県には良弁は近江の渡来系の出身という話もあり、ここらはよくわからない。

Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


Mt. Ohyama

来迎院があった場所に、明治の神仏分離令で少し上の現在は大山阿夫利神社下社の場所にあった大山寺(おおやまでら)はここに移された。


本堂は明治時代の建物だが、あちこちの装飾が凝っていて楽しめる。
本尊の鉄造不動明王像は毎月8の付く日に拝観できる。

Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


倶利伽羅の瀧と右に倶利伽羅龍。

鐘楼の向うに本堂。


Mt. Ohyama

Mt. Ohyama


宝篋印塔

Mt. Ohyama

Mt. Ohyama