大山に登る
2011年11月
七不思議の第五番。
七不思議の第六番。
七不思議の第七番。
女坂と言ってもけっこうきつい。
阿夫利神社下社
頂上まではまだまだだけど、ここからでも相模平野の眺めは良い。
かつては大山寺があったこの下社のある所は広い平地になっている。
拝殿はコンクリート造りの立派なもので風情には乏しい。
修験道でも大山の修験は富士、箱根の修験道とつながっていたので、この浅間神社は江戸時代以前からあったのかもしれない。
かつては夏の入峰の時期しか開けなかった本坂(表登山道)の登拝門だが、現在は手前で自分でお祓いをすれば?半開きの門をいつでも通れる。
白山とも修験道つながり。白山神社の立て札はあるが社はない。
高おかみ大神 大雷大神、大山祗大神は阿夫利神社の祭神。高おかみ大神は貴船神社の祭神でもある水の神様。
大山の修験道は徳川幕府の政策により大きな変化を余儀なくされた。家康は江戸幕府を開くと、大山寺の改革に乗り出しました。当時の大山寺は戦国時代の名残から僧兵や山伏たちの巣窟(そうくつ)となっていました。家康は武力を一掃して人事を刷新(さっしん)し、寺領100石を寄進しています。
(いせはらの歴史:http://www.city.isehara.kanagawa.jp/bunkazai/rekishi/11_edo/edo.htm#oyama)
という解釈もできるが、これは為政者側の見解にも思える。山々を歩き回る修験道者は、寺社奉行の監督の下での寺請制度による戸籍の管理や、関所・口留番所による人の移動のチェック体制にとって好ましくない連中だったと言える。
富士浅間道と合流する追分。
富士見台。
ヤビツ峠からの道と合流。