岩戸山
船岡公園を突っ切って畦道を前進し安土街道に出た。見ると「十三仏」の旗が。この道を行くと右手の山裾にそれらしき雰囲気が。
林に入ると右手に東屋風の建物がある。そこで「近江国岩戸山十三佛由緒」というパンフレットをいただいた。
十三仏とは死んだ人が極楽に行けるか地獄に堕ちるかを審判する仏様達。
パンフレットによると、この登山道は明治21年に作られた三代目だそうで、路端の石仏も二代目の参道から移されたものとのこと。
左下の写真の説明にある「外に善光寺如来、弘法大師、神明大菩薩、八幡大菩薩、合わせて十七体の御佛体を安置された」の主語が聖徳太子だとすると、6世紀後半~7世紀前半の聖徳太子が7世紀後半~8世紀前半に生きた弘法大師の像を安置できるはずはない。
十三仏信仰自体が平安末期以降の末法思想の産物のはずで、実際は上記のパンフレットで具体的に時期が示されている「明治初年頃一托鉢僧諸国行脚…」よりもしばらく前の江戸時代に彫られたものかもしれない。
「大岩を授かり」とか「頂上の巨岩に」といった説明でこれらの岩に大きく十三仏が彫られているのかと思ったが、そうではなくて写真に写っていないお堂の背後の岩に彫ってあるのかもしれない。お堂は毎年四月二十四日(に近い日曜日)の千日会の時に開かれるらしい。