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当尾(浄瑠璃寺、岩船寺と石仏達)

児童公園になっている岩船観音寺跡。
岩船観音寺がどのような寺だったのかわからない。
承久の乱で岩船寺の多くの堂宇が焼かれたというが、ここの板碑(いたび)はもっと後年のもののようだ。
平城京の南都仏教に飽きたらない僧達がこの山間の地で修行に励んだというのは、奈良時代からせいぜい平安時代のことだろう。石仏の多くは鎌倉時代以降、南北朝から江戸時代に作られており、何故この地でこれほどの石仏がこれらの時代に作られたのかの説明にはなっていない。



ここにもあたご灯籠の様なもの。
白山、春日社と彫ってあるので愛宕神社ではなさそうだ。


首切地蔵。実際は見ての通り、お地蔵さんではなく阿弥陀様。釈迦寺跡。東小に戻った。


 

首切地蔵そばの東小墓地。



大門石仏群。昔は浄瑠璃寺の大門があったのが地名として残っているそうだ。



当尾(とうお)の石仏最大の見どころ、丈六の大門ほとけ谷阿弥陀磨崖仏。
丈六=一丈六尺(約4.8m)だが、坐像の場合は半分の高さ(八尺)でよいらしい。
これが阿弥陀仏かどうかは正確にはわかっていない。作られた時期もよくわからないようだ。


西小に戻って「焼け仏」。
元享三年(1322年? 1323年ではないか?)は後醍醐天皇が鎌倉幕府倒幕の計画を画策していた時代。正中元年(1324年)に正中の変が起きる。