弁天洞窟, 穴澤天神社
多摩川中流の右岸(神奈川県側)
2011年11月
東京都稲城市矢野口の京王相模原線京王よみうりランド駅西側に弁天洞窟がある威光寺、東側には湧水で(それなりに)有名な穴澤天神社があります。
弁天洞窟
威光寺は小田急の読売ランド前駅と京王線の京王よみうりランド駅を南北につなぐ道の京王よみうりランド駅近くにある。
稲城市のWebサイトによると「真言宗豊山派で、(京王よみうりランド駅の次の稲城駅と若葉台駅の間にある)坂浜の高勝寺の末寺である。草厚山小沢院と号す。延宝3年より穴澤天神社の別当寺として存在したことが『新編武蔵風土記稿』に記されている。『吾妻鏡』には源氏数代の祈願所であるとの記載があるが、本寺かどうか確証はない。明治35年には矢野口根方地区にあった安楽院を合併している。」(http://www.city.inagi.tokyo.jp/shoukai/rekishi/bunkazai/07_jiin_12.htm)
「確証はない」と書いてあるが、藤子・F・不二雄ミュージアムの東側にある川崎市多摩区長尾三丁目の妙楽寺が長尾山威光寺跡という説もある。
ここの湧水は東京の名湧水57選に入っている。
それでも、何と言ってもここの見どころは「弁天洞窟」。
拝観券に書いてある説明では、その昔、威光寺周辺の小沢峰山には大蛇が棲んでいるという言い伝えがありました。ある夜、里人の一人が、大蛇が現われ弁財天と化すのを夢で見ました。そこで、稲城村の村長原田所左衛門ら二十八人がこの洞窟を掘ったところ、中に弁財天を見つけたのです。
ふらっと入ると真っ暗で「胎内巡り」状態になるので、この地図は頭に入れておく必要がある。
拝観料を払うと貸していただける蝋燭と、持ち帰ってよいマッチ。これだけではまだ暗いので懐中電灯も貸してくださった。
入口からまっすぐの宇賀神までの道は横穴式石室だったらしい。
明治になって掘り進められ穴澤天神社の湧水の脇の洞窟にあった石仏が移された。それが上の拝観券の説明に符合するのかな?
通路は全長65m。地図を見てわかるようにカーブが多いのでもっと長く感じられる。
上記の稲城市のWebサイトによると「明治17年にこの地の和算の指導者小俣勇造が設計して、現在の形に掘り拡げられた。」とある。
信仰の場、霊場というよりも明治時代の行楽施設のように思われる。ここに(信仰と言うよりは物見遊山気分で)やって来る人々を見込んでいたという事は、この一帯にもそこそこの人口があったという事だろうか?
大蛇が出現!
眼が光っている
2分弱の洞窟探検。
本堂は普通のお寺。
艸原山威光寺 同所明覚寺より道を隔てて一丁斗向かふ側二町斗左へ入りてあり。真義真言宗にして坂濱高勝寺に属す。本尊は大日如来座像三尺ばかりあり。当寺は穴澤天神の別當なり。(以下割書)天明年間火災殿堂僧坊に罹りて悉く焼亡して旧記を亡ぼすせり。(以下略『東鑑』からの威光寺該当箇所の引用)
*1
穴澤天神社
京王よみうりランド駅の東端から南側の山道を登り始める。
穴澤天神社 谷口邑威光寺より東北の方三町斗を隔てて同じ往還右の方小道を入りてあり。社は山の中腹にあり。此辺を小澤か原と唱ふ。今祭神詳らかならす。後世菅神を合祭せり。祭礼ハ七月廿五日なり。又同日神楽を修行し九月廿五日に獅子舞を興業す。別當は真言宗にして威光寺と号す。(中略 『延喜式』『武蔵国風土記』の引用) 当社の麓を澗水流れて多麻川に合す。其流れを隔てて山岨に一の巌窟あり。故に穴澤の名あり。昔の巌洞は崩れたりとて今新に洞穿ちて洞穴あり。洞口は一にして内は二ツに分けてあり。(以下割書)内に種々の神佛の石造を造立す。
*2
神明社
山王社
「稲城の指定文化財」によると「獅子の頭[かしら]をつけて舞う芸能を獅子舞といいますが獅子頭につけた布に2人が入って舞う形が一般的で盆[ぼん]・正月・春秋の例祭などの祭りに広く見られます。これに対して1人で獅子頭をつけて踊る獅子舞(一人立獅子舞)が東北・関東地方(中部も?)に伝えられています。関東では、1頭の雌[め]獅子と2頭の雄[お]獅子が1組になって舞うもので、三匹獅子舞(一人立ち風流[ふりゅう]獅子ともいう)といわれています。…獅子舞の構成は大獅子・求獅子・女獅子の3頭の獅子と天狗によるもので、青渭神社獅子舞とほぼ同じ舞いがみられます。
」。(http://www.city.inagi.tokyo.jp/shoukai/rekishi/bunkazai/05_shi_09.htm)
同様のものは稲城市東長沼や、上流の多摩市落合、下流の川崎市菅の薬師堂、初山、小向と多摩川右岸全域に伝わっているようだ。
弁天坂を下る。
ここも東京の名湧水の一つ。
かつてはこの中に弁財天像などが安置されていたのだろう。それらを威光寺の横穴式古墳へ移して上の弁天洞窟が作られたのだが、随分派手に拡張したものだ。
現在も石造りの祠や石仏?のようなものがある。
小沢城址
『江戸名所図会』の小澤城址*3
- *01 斎藤月岑『江戸名所図会』国会図書館デジタルライブラリー コマ番号「49」、コマ番号「50」に挿図
- *02 斎藤月岑『江戸名所図会』国会図書館デジタルライブラリー コマ番号「51」、コマ番号「52」に挿図
- *03 斎藤月岑『江戸名所図会』国会図書館デジタルライブラリー コマ番号「53」