大津のスナップ
琵琶湖文化館屋上のトンボ。「本館展望閣の屋上からさらに8m余り上に、両羽根をひろげた長さが3mという“大トンボ(あきあかね)”が置かれています。昭和36年の琵琶湖文化館創建にあたって、あえてトンボをシンボルとした理由はいくつかあります。 万葉の昔、日本は秋津島(蜻蛉洲)と呼ばれていました。秋津(蜻蛉)とはトンボの古名で、滋賀県は秋津島の中心にあり、日本を象徴する蜻蛉(トンボ)をシンボルマークとしたのです。
」
「開館当時このトンボは、夜になると眼を光らせて回転し、灯台の役割も担っていました
」(http://www2.ocn.ne.jp/~biwa-bun/akitu.html)-これは知らなかった!
常夜灯
こちらは、なぎさのテラスとびわ湖ホールの間にある石場の常夜灯。石場は矢橋との渡し船の大津側の港だった。
昔は笠の四隅に風鐸が下がっていた。
琵琶湖ホテル
防波堤から見た琵琶湖ホテル。
建築としては柳が崎にあるびわ湖大津館になっているお城のような昔の琵琶湖ホテルの建物の方が趣があるけれど、現在のホテルもいつもけっこう賑わっている。
琵琶湖ホテルからの夜明け。
旧東海道を京町三丁目交差点から東に入った一筋目との交差点の角立っている「大津事件牌」
平野神社
「蹴鞠の神社」と書いてある。
文久元辛酉年(1861年)に立てられたもの。
平野大明神とは仁徳天皇、精大明神とは猿田彦のことなのだ。
「大津京への遷都時、668年鎮座、創建は藤原鎌足」と書いある。それとは別に「皇極天皇の時(642年~645年)に京都西洞院滋野井にまつられていた蹴鞠の神、精大明神を松本の狐谷に白鳳元年(642年)奉遷された。」しかし、「応仁・文明の乱で」精大明神の「社殿は焼失、天正2年(1574年)」に精大明神はここに合祀されたという事のようだ。
稲荷社と拝殿の間には、常世、愛宕、天神と並ぶ。
常世神社は、
蹴鞠の形の石灯籠。
粟津晴嵐
広重近江八景国立国会図書館デジタルコレクション